2012年5月9日
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「アルバイト」
 
(みっち。/1950年生/神奈川)


2008年の10月にオランダから帰国し、次の仕事も決まってないまま、すぐに退職した私は、あの「リーマンショック」で突入した大不況の中、途方にくれました。
それでも失業保険で食いつなぎ、一年後にやっと、以前勤めていた会社に、契約社員で雇ってもらえることになりました。言ってみりゃぁ、アルバイトです。

それで、デフレの世の中になっています。
まあ、不況の際は仕方が無いんですね。
私らが学生の頃、高度経済成長の時代で、大卒初任給なんざ、毎年20%も上がっていました。
つまり、前年度が50,000円だったのに、今年度の新卒は60,000円といった具合です。
でも、それを続けると、去年の新入社員の給料も同じように上げなければ、今年の新入社員との差が詰まってしまいます。
だから、人事部の人たちは苦労したんでしょうね。
そんな時代に、学生たちはアルバイトで結構稼ぐことができました。
1969年の冬、時の宰相、佐藤栄作が率いる自由民主党は、衆議院を解散し、総選挙に突入。
党本部の屋上には、アド・バルーンを揚げ、「清き一票を…」などと言う謳い文句が掲げられ、佐藤総理は全国遊説の旅へ。
その自民党本部の屋上で、二日間だけアド・バルーンを監視する、と言うバイトが入ってきました。
面白そうだなぁ、と先輩に勧められるまま、二つ返事でOKし、永田町へ。
何のことは無い、先輩がすべてのお膳立てをして、一旦風船を揚げると、よっぽどの強風が吹かない限り、屋上で本でも読んでいれば良いんです。
毎日でもやりたいくらいの、楽なバイトでした。
二日目の昼過ぎ、女性の声で館内放送があり、「ただいま、佐藤総裁が遊説から戻られました。皆さん、お出迎えください」
先輩と二人で、玄関ホールへ急いで降りたところ、ちょうど件の総理が入ってくるところで、一瞬、目が合って…。
「何だ、あの汚い二人は?」とでも思ったんでしょうね。
こちらから見れば、「銀幕のスター」をひと目でも、と言う感覚だったと思います。
問題なく二日間のバイトを終え、さてもらった給料は…?
何と12,000円もありました!
つまり、一日、建物の屋上で本を読んでいて、それで税込み6,000円をくれたのです。
政権与党って、すごいんだなあ、と単純に思いました。
しかしながら、選挙権を得てから40年余り、一度も自民党には投票したことはありません。
あの12,000円は、御茶ノ水の黒澤楽器店で、初めて買ったアコギに変わりました。
 
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