2012年5月20日
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「気分は今も、フォーク少年」
 
(のら/1957年生/東京)


 子供のころから、テレビの歌番組は好きで良く見てたが取りたてて「音楽」に特に興味があるわけではなかった。中学生の頃、深夜放送でフォークの存在を知り、夢中になり、拓郎の「元気です」は、ポータブルプレーヤーで、レコードが擦り切れる程、何度も何度も繰り返し聴いた。    
多感な時期だということもあるのだろうが、強烈な魅力を感じた。

 高1の頃、陽水にシビレて、ギターを買った。あの日常的な出来ごとを、センチメンタルに、時にシュールな詞で唄い上げる陽水は衝撃的で、実にカッコ良かったのだ。そして、無謀にも「自分も歌を作って唄いたい」と思った。
 質屋さんで5千円でギターを買った。今思うとフレットが押さえにくくて、チューニングは合わない、とても良いギターだったとは言えないものだった。それでも、とにかくギター弾いて唄ってればご機嫌で楽しかった。
 そして、少し弾き語りが出来るようになると、「人前で唄ってみたい」ということで、仲間と文化祭ででバンドを組んだりした。それもまた一人の弾き語りとは違う、演奏の楽しさを知る、きっかけとなった。

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それから、30年程、時が過ぎ・・

 「吉田拓郎&かぐや姫コンサートinつま恋2006」に行き、あの楽しかったフォーク少年だったころの、情熱を再び感じた。ステージだけじゃなく、同年代の観客が実に楽しそうに、一緒に歌い踊り、手拍子するその姿に妙な連帯感を感じた。「そうだ、僕らはみんなフォークが好きだったんだ、今だってこうやって唄えるんだ!」というような高揚した気分になった。

 ギターもホコリかぶって、触ることも無かったのだが、その「つま恋」後、地元のフォークのイベントに参加するようになったり、懲りずにオリジナル曲を作ったり、「フォーク少年」は、「フォークオヤジ」として、復活した。
だいぶ体はくたびれて来たが、せめて気分は、あのフォーク少年だったころのようでありたいと思う、54歳の春なのだ。




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