No.44 山下 2004/06/07(月) その後の東田さん

その後、CDの収録も無事終了し、7月10日発売を目標に現在作業を進めています。CDの製作を契機に、東田さん自身も、「ガンと生きている者」としての社会的な役割というものを考えておられるようで、今まで以上に力強く生きています。実は、彼の生き方を本にして出したいという話もすすんでいまして、これからどんな広がりを見せるのか、期待しています。

東田さんの発病から今までの経緯につき、以下のURLで彼自身が書いているものを読む事ができます。相当の長文ですが、ぜひ読んでみてください。
http://www2.nkansai.ne.jp/users/threeway/kokuhaku.htm
 
No.43 山下 2004/02/16(月) さて、忙しくなりますよ!覚悟してくださいね!

セコンドの山下です。前回の戦いの経験を踏まえて、今回も、まずはギター関連のことで忙しくなっていただこうと思っています。どうも、東田さんに戦うパワーを与えるのは、ギターであり、唄のように思いますので、ちょっとしんどくても、働いてもらいますよ!

まずは、治療費を自ら稼ぎ出すために、ライブとCD制作から始めましょうか。
できれば、3月頃から大阪と東京でライブを企画し、その様子をCDに収録しましょう。
収録のためのデジタルレコーダーは「でじとむ」さんに選んでいただいて準備しましたので、収録する曲の選定と売れるレベルになるように、練習とアレンジに励んでください。

マーチンクラブも、4月に大阪に行ったときに取材したいとも言っていますので、販売促進のために動いてもらいましょう!きっと皆さんが、CDを期待していると思いますよ! 頑張りましょうね!
 
No.42 東田 2004/02/03(火) お久しぶりです。

長い間、ここへの書き込みをご無沙汰しておりました。

空から大魔王が降って来るとノストラダムスが予言した、1999年7の月私に上咽頭ガンの診断が下りました。1999年8月10日に入院となり、執刀できない部位であったため、手術はせず、抗がん剤と放射線治療のフルコースとなりました。

9月になるとコップ半分の水を飲む事も大変な作業となり、食事は一切摂取できなくなりました。それからは、中心静脈からの点滴のみでひと月の間生きておりました。後で聞いた話ですが、家内は担当医に「ご主人は家には帰れないと思っておいて下さい」と言われたそうです。

演技の下手な家内は、私の前で号泣してしまい、私が家内を慰めるという、映画や小説とは違う場面にも遭遇してしまいました。

インフォームドコンセントとは言いますが、患者と医者の関係は誠に複雑です。病状の事を根掘り葉掘り聞けないのも現状です。入院中あきらかに説明不足を感じた事もありましたが、患者という立場はやはり弱いものです。

しかし、放射線治療で医者も驚くほどの効果が現れ、当初は希望的な予定日だった10月10日に予定通り退院出来ました。放射線の後遺症で唾液腺に障害が残りましたが、それ以外はまったく問題なく退院となりました。

それからは定期検診のみで投薬等も一切せず、3年が経ちました。そして、2002年の7月の定期検診で突然の再発の宣告を受け、この掲示板を作っていただきました。

それからも、具体的な治療行為は何もせず、ここまで来ました。昨年の夏あたりから、右耳の後ろあたりに腫れがあったのですが、これも何もせずにいました。この病から逃げるようにしていましたが、今年になりかなり腫れが大きくなりましたので先日、検査を受けました。当然といえば当然なのですが、上咽頭からリンパ節に転移したモノであるという診断が下りました。

発病から再発まで一通りは経験しておりますので、強がりではなく自分自身の気持ちの上では大した動揺はありませんが、 流石に5年になると、経済的な不安が出てまいりました。上の娘は今年、中学に上がります。下の息子は小学3年生になります。まだまだ私もくたばる訳には行きませんが、今の仕事を無くすと、おそらく次の仕事は見つける事は相当大変な事になりそうです。自分の心や家計にも二次災害を及ぼすところが、ガンの最も厄介な部分かもしれません。

ご承知のように、世の中にはたくさんのガン患者の方がおられます。みなさんの身近でも、この病で苦しんでおられる方もおられると思います。この病のやっかいな所はこのガンという言葉にまず心がやられるところです。「ガンも病気のひとつと思いましょう」とは正論なんですが、現状では、まだまだ“ガン”という言葉に多くの人が大きな衝撃を受けてしまいます。

医療現場の状況も、マスコミが言うほど進んでいないのも実態です。「ガンは不治の病ではない」と言われてもう結構な時が経ちましたが、3人に1人はガンで亡くなっているのも現実です。様々な情報が錯綜し、新聞には連日、ガン情報の本やガンの特効薬等の広告が掲載されています。

ガンと向き合うとかガンと共存するという表現がありますが、やはりガンとは戦うという姿勢が基本的に必要です。時には無視してしまうという方法もありますが、正面から向き合うという姿勢が基本です。

ガンの功罪の功の部分ももちろんあります。
家族の絆が固くなったり、生きているという事の意味を少しは分かったりします。ガンにならなかったら、分からなかった事、気付かなかった事もたくさんありました。人生のスパイスとしては強すぎますが、自分の寿命の事を常に考えて生きる事も、このような病になったお陰である事はまちがいありません。

私も、これが3戦目の防衛戦ですが、戦う準備は始めています。過去2戦は何とか判定で防衛しましたが、3戦目となるとつい油断が出るやも知れません。油断することなく、今回も勝利する事を宣言します。

なんせ私がコーナーに帰りさえすれば、セコンドには、山下さんをはじめ、多くのオヤジ名トレーナ−達がいますから・・・安心して戦えます・・・
 
No.41 竹内茂樹 2003/11/14(金) がんばってください
最近、この掲示板を知りました。
内容を読んで心にくるものがあります。

日々仕事と戦う、家族を守るために戦う、自分のために戦うなど
いろいろな中年オヤジいるでしょうけれど、
病気と戦うのは大変なことだと思います。

がんばってください。
ギターを弾いて楽しみましょう。
No.40 奥西 2003/08/26(火) 良かった…
良かった・・・・。
本気で心配していました。
問い合わせるわけにもいかず、どうしたものかと思っていました。

山下さん、ご報告有り難うございました。
東田さんも、体をいたわって頑張って下さいね。
No.39 山下 2003/08/26(火) その後の東田さんは…
現在の東田さんは、幸いにもNo.37でご報告されている状態から変化がないようです。
ただ、発病時に最後のオトシマエをつけるために仕事を整理したという関係で、その後求職活動をされ、今では、夜間勤務もある仕事をやられています。
環境の変化とPCの不具合から、このサイトへの書き込みもほとんどされていませんが、元気です!
夏の間は、地元でのイベントでギターを弾く機会も多かったようですので、そのうち、ここにも登場するかと思います。皆さん、楽しみにお待ちください。
 
No.38 東田 2003/5/1(木) 拓郎について
やっぱりガンだった・・・
先日の手術時には「肺腫瘍の検査のため」と報道されていたがやはりガンだった。
この時、拓郎のホームページ上で流された「世界一の弱虫でした」という本人のコメントが「流石に、こうなると拓郎も弱気になるもんだ」とセンセーショナルに報道されていた。
初期の拓郎に多大な影響を受けた私としても、この件には強い関心をもって注目していた。
これから彼がこの厄介な病に、どのように対峙していくのか、
私としては多いに興味がある。
この病に関しては皮肉にも、9歳も年下の私が3年先輩となってしまったが、この“限り無く不透明な病”とこれからの拓郎がどのようにして、向かい合って行くのか彼の今後をしっかりと見守りたい気持ちである。
♪明日からも こうして 生きてゆくだろうと〜
と唄えなくなってしまった拓郎・・・ガンバレ・・・
No.37 東田 2003/2/23(日) みなさん、ありがとうございました。

2月14日の検査では病巣の大きさは相変わらず
“確認できないほどの大きさ”との事でした。
再発発覚時の去年の7月には“あと半年”と言われましたが
医師の方から“このまま共存”とか“消滅するかも”という言葉が出だしました。

もちろん、特別な民間療法や宗教療法などをしている訳ではありません。
私はまず“自分はラッキーだ”と思うようにしています。
もっと辛くて不自由でシンドイ人もたくさんいます。
それに比べたら、私のガンなど“屁みたいなモノ”と思っております。
メシも喰えるし、酒も飲めます。
そして下手くそながら“ギターを弾く”ことも出来ます。

私は次に“ギターや音楽”の効果は絶大だと思っています。
もっと言えば“山下さんをはじめとするオヤジ達”のお陰と思っております。
ガンになったらギターを“ガンガン”弾くことです。
真剣にこれを実践して、証明しようと思っております。


さて、今回の“2.22戦うオヤジの応援団 高石ともやコンサート”は
私にとっては素晴らしいコンサートとなりました。

もちろん、私にとって初めての経験でしたので、
色々な場面で、様々な失敗もありました。

高石ともやさんと、事前に打ち合わせしていた事が
直前で変更になったり、会場と事前に打ち合わせしていた事が
行き違っていたりと、思いがけないことの連続でした。

このようなことで参加していただいた皆さんにも、
色々とご迷惑をお掛けした事もあったかとは
思いますが何卒ご容赦願います。

今回の“戦うオヤジのコンサート”は地方版ですが
朝日、産経、読売、毎日、神戸、丹波といった
新聞でも事前に紹介されました。
それで知ったのか、当日は朝日放送の取材があり、
“戦うオヤジの応援団”が夕刻の関西ローカルの
ニュースで僅かな時間ですがテレビ放映されたようです。

しかし、私の日頃の行いが悪いからか、当日は生憎の雨となりました。
正直、盛況とは言えない状況でしたが、それでも傘を差して
ホールまで足を運んで来てくれた方は、かなりおられました。

そして今回、私が一番この企画を実行して“よかった”と思った事は
コンサート終了後の“打ち上げ”でした。
高石ともやさんをはじめ、高石とし子さんや、応援団の皆さん、
地元のスタッフやオヤジ達と一堂に会せたことです。

これでまた、みなさんからたくさんの元気をいただきました。
今度は私がみなさんに少しでも元気を差上げられればと思っております。

このコンサートを開催して、山下さんの苦労がよく分かりました。
しかし、これにめげる事なく、来年の5月あたりに、
今回の経験を生かして、もう一度、地元で開催しようと思っております。
その時はまたご協力をお願い致します。

もちろんそれまでは、出来るだけオヤジの応援団の催しに
積極的に参加しようと思っております。
メッカのパタータへは“年に1回”をメドに巡礼に行く予定ですが
流石に4月の“加川 良”は参加したいけど無理かな?(笑

昔にギターを“チョビット”だけ弾いていて、本当によかった・・・
お陰でこんな仲間に入れ、そしてこの年になり、この時だけは、
完全に気分が10代に戻れますから・・・

みなさん、本当にありがとうございました


※この内容を掲載した後、東田さんから<赤字を出してカンパしてもらう者が「またやりたい」等というこんな“ノウテンキ”なことは書けませんので一部削除してください>というお申し出がございましたが、あれほど感動的なコンサートを創り上げたということで責任は果たしていると思いますので、このまま掲載します。(山下)
No.36 山下 2003/1/4(土) 最高の時間でしたね!
東田さん、本当に至福のひとときを過ごされましたね!おめでとうございます。
ガン細胞は東田さん自身が作ったものなのですから、次は東田さん自身の抵抗力で消滅させてしまいましょうよ!
詳しくは知らないのですが、音楽療法という治療法が実際に注目されているようですので、フォークソングのシャワーを浴びることによって細胞に退散いただくようにしましょう!
そうなると、高石さんも岡林さんも高田さんも(?)大忙しで、一躍フォークが世の中の注目を浴びるようになったりして…。
しかし、実際にガンが発見される時期は我々のような40〜50代が多いのでしょうから、まんざら冗談でもなさそうな気もしますね…。
東田さん、日本のフォーク復活のためにも、ぜひ実証してください!
No.35 東田 2003/1/3(金) 謹賀新年
明けましておめでとうございます。

私の体は、お蔭様で、まったく変化なしというところです。
あとは気持ちの問題だけのようです。
再発が分かって、半年以上経ったわけですが、
医師からは抗がん剤治療をすすめられました。
しかし、皮肉にも曖昧模糊とした医療現場の対応のお陰で、
何もしないまま現在に至っております。

再発が分かった昨年の夏あたりから、仕事を相当量キャンセルしました。
その時は、来年の正月まではあかんか・・・
もし生きていても家で新年を迎える事は無理か・・・
と思っていたのですが、何がどうなったのか、
何がどうなっているのかは分かりませんが、こういう事もあるらしいです。
現在は、相変わらず、いたって元気です。

昨日は京都の「高石ともや歌会始め」という新年会に参加しました。
スタジオで飲み物や食べ物を持ち寄っての宴会でした。
ファンの集いという表現は適当ではない、
家族というか親戚というか、兎に角和気藹々とした宴会でした。
今回は私も高石さんとかなり話しが出来ました。

すでに周知の事実ですが、高石さんはマラソンを30歳を過ぎてから始められていますが、
去年は3回もトライアスロン大会に出場し、ウィスコンシン州のトライアスロン大会、
60歳代の部では優勝して、今年の世界大会の出場資格を持っておられます。
もちろん日本人は一人とのことです。

ここまで来ると「体にいいからジョギングをしている」というレベルではないです。
ついこの前のホノルルマラソンでも、61歳という年齢からは考えられない、
「サブ・フォー」所謂4時間を切るタイムで走っておられます。
やっぱり、すごい・・・口で言うのは簡単ですが実際にここまでやれるとは・・・
「凝り性」という言葉では片付けられないですね。
もちろん、音楽に対する思い入れも尋常ではなかったです。
少し音楽の話もして貰いましたが、やはりホンマモンのプロのシンガーでした。

高石さんには今のような時代だから、もう1度あのプロテストソングを・・・
という気持ちがまだまだあるようです。

昨年の暮れのコンサートでもステージ上であえてギター1本という場面を作り
一人で「労務者とはいえ」「時代は変わる」「明日なき世界」という曲を唄っていました。

高石さんの宴会での挨拶の中で
「楽器も唄もスポーツも練習がオモシロイと思わないと身に付かないんですよ、
私は結局は、オモシロイと思ったからギターを弾いたし、歌も唄ったし、
マラソンも走ったんです。嫌になる時や飽きてくる事もあるでしょうが、基本的に好きだ
という事が物事を継続していけるという根本です」と話されていました。
私も「その通り」と深く頷きました。

さて、宴もたけなわ、酔いも手伝い、私もステージに上がりました。
多くの人がナターシャ時代の曲を演ったんですが、
私はランブリング・ボーイと主婦のブルースを唄いました。
本人の前で唄ったんですから、改めて酒の力はすごいと思いました。
結構ウケました。本人にも「懐かしいねぇ・・・」と喜んでいただきました。

最後にこれは本当に酔っていたんでしょう、
何とオリジナルの「西へ向かう」を唄ってしまいました。
これには橋本さんという方がバックでギターの応援をしてくれました。
そして、何と高石さんからアンコールの要請があり、「西へ向かう」をまた唄いました。

私が中学生の時に初めてギターを弾いて人前で唄った歌が
「ランブリング・ボーイ」でした。
それを、この年になり本人の前で唄うとは・・・
そしてその人の前で今度は自分のオリジナルを唄い、その歌を賞賛していただき、
「もう1回唄って下さい」と言っていただくとは・・・

やはり人間は生きていないとダメだと思いました・・・

この世にいないとダメだと思いました・・・

生きていてよかったと実感しました・・・

みなさん、今年もよろしくお願い致します・・・
No.34 東田 2002/12/27(金) 東田です
柘植さんはお気付きでないかも知れませんが、
私がハンドルネームを緒玉雀枝から本名の
東田に変えたのは、柘植さんの影響です(笑

いつもパタータに行くと思うのですが、
時間がたっぷりありそうで、実は中々じっくりと
話しをする機会がないですよね。

今回も私が勝ってに出ていって、勝ってに演リ出しました。
にも関わらず、バックでの応援、ありがとうございました。

「私の青空」はもちろんレパートリーファイルにあります。
ただ、これは1人で演ると、暗くて、つらい・・・(笑
でも、柘植さんのバックがあればこの歌も蘇ります。

1度じっくりと・・・

飲(や)りながら・・・演(や)りましょう・・・
No.33 柘植 2002/12/24(火) お疲れ様でした
柘植でございます。
東田さんのお元気そうな姿を拝見でき、とても嬉しく思っております。
「生活の柄」だけのつもりで準備していたものを、
ついでしゃばって3曲もやってしまい恥じ入る次第。
雑なバッキングで、さぞかし歌いにくかったことでしょう。
申し訳ございません。
それにしてもあの歌いっぷり、飄々としたステージング、
人生観とにじみ出てくる味わいの数々。
東田さんこそがリアルブルーズマンだなぁと、あらためて感じ入りました。
自分はまだまだ修行が足りないと、反省しております。

次回はぜひ事前に曲目をご指示ください。リゾフォニックギターで馳せ参じます。
小生「私の青空」がいいかな。
なお、年明け訪西の件は、いましばしお待ちください。
女房の実家帰省のタイミングにあわせて、お邪魔する事になる予定です。
どうにか実現すべく奮闘しておりますので、よろしくお願いします。
No.32 東田 2002/12/23(月) シャケが故郷の川に帰るように
>ところで東田さんは本当にパワーがありますね。
>機動力・探求力・冒険心、どれをとってもトップランナー間違いなし!
味噌ッカツさんありがとうございます。
ただし結果がいつもビリの方なので・・・(恥(笑

>“ぶるーす”良かったです!!
SRVさんオオキニです。
私の場合は正にひら仮名の“ぶるーす”でしょ(笑

酒が入るといい意味で恥ずかしさがなくなり
何でも出来るんです(開き直りとも言う・・・(笑

本当にひょんな事で去年から30年振りに人前で唄い出しました。

色んな曲の歌詞を忘れていて、ネットで調べた時
山下さんのサイトの端っこに出会ったのでした。
なんとそこに紹介されていた曲のほとんどが私の捜していた歌詞でした。
それには何と、コードまで付いていました。
誰やこんな歌にコードまで付けて紹介しているのは・・・

アドレスをいじくり回して、何とかトップページに辿り着いたら
「マーティン ギター フリーク」というサイトでした。

そこには、「戦うオヤジの応援団」という私が正に捜していたフォーラムがあったわけです。
それから、ご承知のように現在へと至った訳です。

何時の間にか、自分の練習不足を棚に上げ、
日本のフォークなんてダメダメ・・・とウソぶいていました。
高田渡も加川良も斎藤哲夫も友部正人もみんな好きだったのに・・・
何時の間にか、カッコだけ付けている自分がそこにいました・・・

でも、この年になり、正に「シャケが故郷の川に帰るように」日本フォークに浸っています。

“ぶるーす”もひら仮名ですが、もう1度、昔に立ち帰り、頑張ってみます・・・

そんなんでSRVさん、弟子になるのはもう少しお待ち下さい(爆
No.31 SRV 2002/12/22(日) 
東田さん、こんばんは!!はじめました!!

いや〜予想以上に若くて御綺麗な方・・・・(〃⌒∇⌒)ゞえへへっ♪
冗談です!!

“ぶるーす”良かったです!!酔いどれブルースマンとお呼びしましょう!!

もっと体調が良かったら美しい声で話せたのにと、言うとこだけが残念でした!

こんど参加する時には何かひとつブルース弾けるようになってTsugeさんと
三人でやりましょう〜!!

東田さんとしゃべれて大変楽しかったです!
師匠とこれから呼ばしてください!!(爆)
No.30 東田 2002/12/22(日) 1年が終わりました
私にとっての1年は昨日の忘年会で終わりました。
みなさん、今年1年間、サイト上も含めありがとうございました。
今年は何といっても「ナマの岡林」が見れ、
さらに、その前座に出して貰えたというのが
私にとっての今年のビッグニュースベスト1です。

来年は私にとってのビッグイベントがあります。
私が中学2年生の時に初めて見た「高石ともや」。
この人のライブに行かなかったら
ギターを弾いていなかったと思います。
高田渡も中川五郎も斎藤哲夫も、もちろん岡林信康も
この人のライブに行かなかったら聞いてなかったと思います。

まさか、その人のコンサートを開催するなんて・・・
これも、「岡林信康」が実現したので「オレにも出来るかな・・・」
と思えたわけです。正に「みなさんのおかげ」です。
1年間、オオキニでした・・・来年もよろしくお願いします・・・
No.29 味噌ッカツ 2002/12/19(木) こんにちは!味噌ッカツです。
山下さんのHP掲示板や独り言コーナーに投稿させていただいている通り、あまり上手じゃないけどギター大好きの味噌ッカツです。

この味噌ッカツというHNは、当然「名古屋名物の味噌カツ」が大好きだという理由もありますが、実はクラシックギター関係のHP・掲示板に投稿するときに使用していたものなのです。クラシックギター分野では「味噌っかす」の私ですから、その辺を表現したくて「味噌ッカツ」にしたんですね。
「おや応」に登録したときも、まあ新参者ですので、お気に入りのHNを使わせていただきました。
「おや応・神奈川」のメンバーにはバレバレですが、家のカミサンからは「○○チャン」と呼ばれておりまして、こちらを使おうかとも思ったのですが、47のおやじとしては余りに情けないと思いとどまりました。

ところで東田さんは本当にパワーがありますね。
機動力・探求力・冒険心、どれをとってもトップランナー間違いなし!
これからも、色々とお世話になると思いますが、宜しくお願いいたします。

12/21の料亭での党三役会談で、改めてご挨拶させていただきます。
No.28 東田 2002/12/16(月) ご報告
14日隣町の柏原町で色んなオヤジ達に声をかけライブ忘年会を開催致しました。
地元から36名もの老若男女(但し、若女は少なかった)が集まってくれました。

第1回なので、タイトルもやさしく「アコースティックな夜」と題したこの会は、
クラシックあり、インストあり、ブルーグラスあり、ブルースあり、
もちろんフォークありと、正にK−1を越える、異種格闘技ライブとなりました。
予想以上に盛りあがり、「次回も是非!」という合言葉でおひらきとなりました。
地元にこんなオヤジ達がいたとは・・・と本当に驚きました。

「オヤ応」からは京都のリキョウさんがお越しいただきました。
000−おやじさん、次回は是非ご参加下さい。
最後はブルーグラスバンドと一緒に「生活の柄」をみんなで大合唱して終わりました。
(大合唱する歌やあらへんがな・・・(笑

さぁ、今年の私の中での大きな締めくくりは21日の忘年会です。
参加される皆さんに、お会い出来るのを楽しみにしております。
No.27 000-おやじ 2002/12/12(金)
こんばんは、東田さん。
000-おやじです。この掲示板を読んでいたら、いきなり私の名前が出てきて
椅子から転げ落ちました。(><)
..........いででででで、でで。
忘年会は本当に残念です。東田さんに御会いしたかったです。(^^)

昔、友達のKと琵琶湖のオールナイトJazzコンサートに行った時、
朝、二人ともお金が無くなりました。
仕方がないので、琵琶湖大橋から家まで歩いて帰ったんです。
一日がかりで。
知らず知らずに二人で、「生活の柄」唄ってました。

ぴったりでした。あの状況には。 (^^)
No.26 東田 2002/12/04(水) BCCメールでもすればいいんですが・・・
こんばんは、東田です。体の方はお陰様で進行していないというか、
そのまま放っておいているというか、お医者さんに逆らっているというか、
まぁそんな所です。こんな状態で何か申し訳ないような気になって来ました。

次の日曜日は地元商店街の大売出しのイベントライブに出ます。
大売り出しには何の関係もない遠藤賢司の「カレーライス」や高田渡の「銭がなけりゃ」等を演ったろうと思っております。主催者には迷惑な唄です(笑
高田渡の「値上げ」は「値下げ」にして替え歌にしようと思っています。

「コーヒーブルース」の替え歌も出来ました。
題して「フレーズブルース」といいます。

♪柏へ行かなくちゃ〜柏、新柏駅のパタータっていうイタメシ屋へね〜
 オヤジ達に会いに〜何好きなフレーズを少しばかり〜

続きは21日の忘年会で・・・

そうそう、話が脱線しました。メンバーがドンドン増えていますよね。
000-おやじさんのおられる、小浜市へは舞鶴自動車道という
高速道路を走れば、本当にすぐに着きます。
1度、お近くの者同士で集まりましょう。
柏の忘年会に行けない方も是非1度お会いしましょう。
また、他の掲示板1とか2とか、
または私へ直接メールいただければと思います。

年末ですから・・・パァーッと行きましょう・・・・
No.25 東田 2002/11/11(月) うきうきした気持ち
junさん書き込みオオキニです。

この山下さんのサイトに出会ってから私のうきうき度は相当にアップしました。

昨日も隣町のホームパーティーにライブがあると聞いて出かけました。
偶然にも私や山下さんと同年の方で京都府の福知山市でJRの車掌をしている方がブルーグラスのバンドを組んで活動しているのを知りました。

このバンドのバンジョーとベースの方は高石ともやさんが地元に来るとバックをしているというバンドでした。3時間に渡って、ブルーグラスにC&W、そしてナタ−シャセブンと堪能してしまいました。

そして、飛び入りコーナーがあり、思わず「生活の柄!」と言ってしまいました。
すると「おお、懐かしい、是非演りましょう」と言っていただき、飛び入り参加となりました。
ウッドベースにフィドルにバンジョーにフラマン、そして3人のコーラスという贅沢な「生活の柄」を唄わせて貰いました。ああー気持ちよかった・・・

我々の世代で、アマチュアでもこうしてまだ活動しているバンドに出会うと頭が下がると同時に羨ましくも思い、また元気も出るのでした。

「うきうきした気持ち」これからも大事にしたいと思います・・・
No.24 jun 2002/11/09(土) 
東田さん、こんにちは。納涼会ぶりです。
お話されていた、HD28Vはいかがされましたか。

・・・・わたしの郷里の父は、何回か手術を経て近頃ようやく普通に生活できるようになりました。子供の頃からかわいがられた叔父は今、闘っています。

明日は我が身。以前、自分だったらどうやって過ごすか、あれこれ本を読んだり、考えたことがあります。そして、驚異的に回復される方々に共通しているように思われる、あることに気づきました。

”うきうきした気持ち”を持っていることです。
生体的にも、ドーパミンだったか何かが、たくさん流れるとか聞いたことがあります。

実際、ものすごく難しくどれだけできるかわかりませんが、わたしは、”うきうきした気持ち”をできるだけ長い時間持てるようにしようと強く心に決めています。

少し長くなりました。それではまた!
No.23 東田 2002/10/23(火) BABUさん・kentさんへ
書き込みありがとうございます。

私は、今まで「気」という言葉を誤解していました。
気=心霊現象のようなイメージを持っていましたが
「気」とはもっとシンプルで、純粋な物であるというイメージが
ようやく出来あがって来ました。

目標を遠くと近くにふたつ作ると
「気」というものが、自然発生することも分かって来ました。

もっとも、きっかけは、何度も書きますが、
ここで、「ええ、オヤジ達」と出会ったからでした。

今はまず、「年末にパタータへ辿りつくこと」
というのが、現在、最も近くにある私の目標です。
No.22 kent 2002/10/23(火) 
「病は気から」とは昔の人のたとえですが、良く言ったものです。それと、今でも「手当をする」と言いますが、頭が痛い時、お腹が痛いとき、そっと患部に手を当てると、何となく痛みがやわらぎます。それが、美しい乙女だったりしたら、さぞかし癒されることでしょうが!(経験がないので想像です)
人間、本来自己治癒能力を持っておりますが、それに勝る治療はないのかもしれません。仕事柄、複雑な心境ではありますが!(笑)
東田さんのMartin D-28さぞかし、いい響きをしているのでしょうね!
それと、岸辺さんの、なんとも形容しがたいアコースティックでノスタルジックな包み込むような音のシャワーが、東田さんの身体の中の兵隊を奮い立たせたのかもしれませんね。
岸辺さんのライブの日は、私は、風邪で最悪の体調の中、はうようにパタータにたどり着きましたが、思いがけず東田さんと再会し、山下さんを初めオヤジ達のいつもと変わらぬ姿に出会い、そのうえ岸辺ワールドに浸ってすっかり、翌日夕方までには回復してしまいました。
  
But、油断大敵!。ふっと気を許した瞬間に、思わぬ逆襲をしかけてくるのも、また病です。どんなに過酷な状態でも、気が張っている時は、不思議と風邪などひかないものですよね。ふっと、安心した時、気持ちが緩んだ時に、くしゃみ、鼻水、熱感からはじまり、あとはお定まりのコースとして、頭痛、発熱、倦怠感、悪寒・・・・・。にっくきインフルエンザ様症状の到来となります。

D-28と入れ墨ギター、そして歌で東田さんの身体の兵隊へ補給作戦を続けていただき、12月21日の忘年会でバージュンアップさせ、一掃作戦を開始しましょう!

では!では!
No.21 BABU 2002/10/22(火) 
身体の中の邪魔な異物にはこのまま消えてもらいましょう!!

公約を守れるようにこの頃よく「自衛隊に入ろう」を2人で弾いております。
今日は第一回のビデオを見ながら練習いたします。o(*⌒―⌒*)o
No.20 東田 2002/10/21(月) ご報告
先週の18日の金曜日、市立西脇病院の耳鼻咽喉科へ参りました。
兵庫県西脇市というと自宅からも近く、そこに偶然ですが、
3年前に私を診て下さった担当の先生がおられることを知りました。
病巣は幸か不幸か少し小さくなっているようでした。

世間では民間療法で病巣が消えたとか、
ある宗教に入って病巣が消えたとか言いますが、
がんとはそんなこととはもちろんなんの関係もなく、
医学的にも何故かは分かりませんが、
大きくならないものや、消えてしまうものもあるようです。

もっとも、私も決して楽観的には考えておりませんが、
今のところは、武豊が落馬したように、
再発が分かった時点で予想していた状況とは
いい意味でまったく違う方向になって来ているようです。

このような掲示板まで作っていただき、
応援していただいておりますのに、
こんな、呑気な事を書いて、誠に恐縮至極に存じます(笑

しかし、私には確信があります。
マーティンを弾き、昔のフォークソングを唄い、
戦うオヤジの応援団の集会に参加する・・・
このような事が、気持ちを楽にしてくれ、
この病巣を小さくしてくれたと・・・信じています。
このような「治療方法」が私にとっては、
正に「功を奏した」のであると確信しています。

♪これこそはと信じれるものが〜この世にあるだろうか〜
 信じるものがあったとしても〜信じないそぶり〜♪

ようやく、48年目で信じるものが見つかったような気がします・・・(真面 
No.19 東田 2002/10/15(火)
実は「国立がんセンター東病院」が柏市にあったお陰で、私としては、「最高の口実」が出来、今回のライブに行けたんです(笑

>お互いに減量にもがんばりましょう!
映画やドラマでは、がん患者は痩せるはずなんですが・・・(再笑

>健康診断にも行けずに助かっているようです。
そう、行かない方がいいですよ・・・
「病院に行くと病気になる」というタイトルで本を書こうかと思っております(再々笑

次回は「たかがビール」ですが、量を控えて、idomさんのバックに応えれるよう、
一から出直します(再々々笑

では、また、椎橋さんとお会い出来る日を楽しみにしております。
No.18 椎橋 2002/10/13(日)
先日は柏での岸部さんのLiveではど〜も!
「おやじ〜」の声と態度とおまけに顔のでかい椎橋です。
実はこのBBS(??)への書き込みは躊躇っていたのですが、先日元気そうな顔を拝見させていただき安心させていただきました。
確かに仕事をキャンセルされたのはもったいないですね。私もこんな不規則&不健康極まりない生活ですのできっとどこかに爆弾を抱えているのだろうと思いますが、嬉かなクライアント様のおかげで余分なコトを考えている時間的余裕がないため健康診断にも行けずに助かっているようです。
しかし、お互いまだまだ若いのですが、しばらく拝見しないうちに随分と恰幅良くなりましたよね。
次回お会いできる際には私もなんとか余分な肉を落とせればと思っておりますので、お互いに減量にもがんばりましょう!

P.S
「痩せる!オヤジの応援団」には山下奥さんも参加するらしいです...
No.17 東田 2002/10/09(水) 
大山さん、書き込み、ありがとうございました。

私も現在は兵庫県の山奥で住んでおりますが、40歳までは、大阪で暮らしておりました。
田舎暮らしに憧れてこの地にやって来ましたが、皮肉な事に、こんな田舎にやって来てから、この病となりました。

それまでの都会生活に嫌気が差し、良かれと思い移り住んだ田舎も、急激な環境の変化が目に見えないストレスになったのかも知れません。

つくづく人間というのは複雑な生き物であると実感しました。

もっとも、実際には病気の原因は誰にも分かりません。

♪そうですそれが〜運命でしょう〜というところです。
ショウミの話しが・・・(笑 

>縁がありましたら一度フォークソングを一緒に歌いたいものです。(下手ですけど)
是非御一緒しましょう。(私も下手ですけど)(大笑        

これからもよろしく、では、では・・・
No.16 ITSUO-OYAMA 2002/10/07(月) 
私大山と申します、大阪に住む44才(男性)です。
マーチンフリークをネットで、たまたま見つけ、その後、時間があれば閲覧し、皆さんの音楽活動を楽しく拝見しています。
東田さんは関西から千葉まで出向かれて演奏されているところが同じ関西の者として特に親しみを感じたものです。
今回、東田さんの病気の事、知りました。まったくお会いした事のない方なのに、とてもショックを受けました。同じ年代で、またフォーク好きなというところから仲間意識をかってに感じていたからです。

私のまわりにも最近癌に侵されている人が何人かおります。
落ち込んでいる人、明るく仕事をしている人、それぞれですが、やはり気持ちを強く立ち向かっていく方は元気そうに日々を過ごされています。
ちっぽけな事で悩んでいる小生にはあたまが下がる思いです。

東田さんも、明るい方で強い意志を持った方だと推測されます。
好きな音楽もあり、応援する仲間もたくさんいます。どうか、病気に打ち勝って下さい。縁がありましたら一度フォークソングを一緒に歌いたいものです。(下手ですけど) これからもマーチンフリークで東田さんの活躍を見たいと思います。頑張って下さい。        
No.15 東田 2002/10/03(木) ガン患者道
9月30日(月)に「ガンマーナイフ」という放射線を
ピンポイト照射する治療法が可能な神戸の病院に参りました。

幸か不幸か私の癌は未だに5月の発見以来、MRIにも映っていない大きさなので、
「ガンマーナイフ治療は出来ない」との診断が下りました。
皮肉なことに「大きくない」ということで、抗がん剤治療を勧められました。

こうなると又、「悩み多き者よ」になってしまいます・・・(笑

愚問とは思いましたが「このまま放っておくとどうなりますか?」と医師に尋ねましたら、
「それは、癌ですから、必ず何時かは大きくなります。癌なんですから・・・」と言われました。
しかし、現在、4ヶ月を過ぎましたが、別段体に大きな変化はありません・・・
抗がん剤は副作用はもちろんですが、1ヵ月の入院を余儀なくされます・・・(悩

今となっては、仕事をキャンセルした事が悔やまれます。
私も何か症状が出ていたり、腫瘍が大きいとなれば、決断出来るのですが・・・(悩

こうなると「♪生まれて死ぬまで〜つきまとうのは癌というものなのですよ〜」
という感じになって来ました。

こうなったら「武士道」ならぬ「ガン患者道」の道をひたすら歩む覚悟です・・・(笑
No.14 sinojima 2002/09/27(金)
東田さんこんにちは
ごきげんはいかがでしょうか
>>私の場合、3年前に癌宣告を受けた当初は、まずかなりの躁状態となりました。
滅多やたらに、友人知人に癌であることを、相手の仕事先でもお構いなしで電話をかけ報告しました。>>

普通癌宣告されたら躁状態じゃなく鬱になる人がほとんどなのに・・・
躁状態になった東田さんにビックリして出て行ったんですね(^^ゞ・・・トトロにでてきた真っ黒クロスケみたいに・・・笑い声といっしょに出て行ったのでしょう・・・
病は気から・・・
ガンを飛ばされてガンを返すのではなく笑顔を返せば殺し合いはなくなる・・・
イラクを爆撃しようとしているBさんにも知らせなくちゃっと

ところで・・・
マーチンのギターの音色にうっとりさせる作戦も効果あるかもしれませんので、5カポあたりの高周波を毎日浴びさせてみてください。
マーチンビームってやつです。何で5カポか・・・
それは後日に・・・

PS・脳梗塞の友人もめざましい回復で、言語障害のリハビリOK・・あとは、右手・右足・・・
右半分やられてもまだ左がある。
希望を失わなければどんな障害も克服できるんだ・・・
ってことを、こんなあたりまえなことを再確認しました。

「胸にギターを、唇に唄を持て」(その後のマッケンナより)
No.13 東田 2002/09/26(木)
この病の一番厄介な所は、精神的な辛さだと思います。
これは、本人はもちろんですが、家族にも大変な負担となります。

「医学も進歩して、癌も早期発見なら恐くない」と言われて久しくなります。
しかし、未だに「癌=死」という図式が我々の頭の中に根強く残っているのも事実です。

どうしてもこの病だけは、「他の病気とは違う・・・」という考えが、私達の間にはやはりまだあるようです。現場での医学的な進歩が、現場での患者の思いに追いついていないというのが、現状のように感じます。

私の場合、3年前に癌宣告を受けた当初は、まずかなりの躁状態となりました。
滅多やたらに、友人知人に癌であることを、相手の仕事先でもお構いなしで電話をかけ報告しました。今思うと、報告を受けた者にすれば、非常に不躾で困惑する要件です。

暫らくすると、その躁状態の反動のように気分が落ち込み、不躾な連絡をした事を恥じ、
猛反省をし、益々気分が落ち込んで何もする気がしなくなりました。

私には詳しい状態は知らされていませんでしたが、癌は4期(末期)で頚部にも転移があるとの判定が下っていました。家族には「完治する見込みはほとんどない」と言われての入院でした。しかし、私は2ヵ月の入院で病巣か消え、完治しました。

すごく嬉しかったのですが、それからの私は、この病に関して限りない疑問を持つようになってしまいました。末期なのに?・・・転移していた病巣は?・・・様々な疑問が頭をよぎりました。しかし、治ったからでしょうが、それを医師に聞くことはあえてしませんでした。

そして、それ以来、私にとっては「限りなく懐疑的な病」として、この癌という病気をとらえるようになりました。

癌にもどうやら色々なタイプ・パターンがあるようです。

「癌もたくさんある病気のひとつ・・・」と思えるか思えないか・・・
このあたりが重要なポイントになると思います。

私の現状報告などは次回の書き込みでしようと思っております。

ダラダラと書きましたが、最後まで読んで頂いてありがとうございました。
No.12 東田 2002/09/12(木)
そうきたら、お約束ですからとりあえず「イッパーツ!」と返しておきます(笑
No.11 kent 2002/09/10(火)
ファイト!
No.10 山下 2002/09/10(火)
柘植さんのHPの掲示板でも、話をしていただいているのですが、その掲示板で、咽頭ガンにかかりながら、「イントーズ」という名前でバンド活動を行っている方のHPが紹介されていました。
http://kobe.cool.ne.jp/x1happy/

“戦う”と“闘う”は迷ったんですよね…。意味的には、篠島さんのおっしゃる通りなのですが、「戦う」のほうが、誰でも素直に「タタカウ」と読めるように思ったのと、確か柏近辺に「闘うオヤジ」というバンドがあったような気もします…。特にこだわってはいませんので、皆に意見を訊いてみますね。
No.9 東田 2002/09/10(火) 
篠島さん、書き込みオオキニです。
この掲示板では、みなさんの周りで体験された癌に関する情報等も、
私のこれからの「癌との闘い方」を検討する上で非常に参考になります。
抗がん剤の賛否両論等を含め、実体験された医療に関する
様々な情報をお願い致します。

そうですね、言葉遊びではなく「闘う」の方が、エエ感じですね。
「最後の全共闘世代」の我々としては、こちらの方がピンと来ますね。
山下さん、「戦うオヤジ」を「闘うオヤジ」に変えるというのは如何でしょう。

>柏で一緒にやった僕の友人も脳梗塞と闘っています。
>言語中枢が大分よみがえってきました。
何よりです。
打ち上げのパタータへ行くまでの車中でご一緒して貰って、
お二人の「ナレソメ」を楽しく話しておられたのがウソのようです。

復活されて、篠島さんの泣きのギターをバックにあのオリジナルを
もう一度私も是非聞きたいです。よろしく、お伝え下さい。
No.8 sinojima 2002/09/10(火) 東田さん、共に生きよう!!
たとえば不死鳥の如く・・・
どんなにうちのめされても
這い上がる勇気と執念深さを忘れてはいけない・・・
東田さん、がんばって!!共に生きよう!!

癌ってやつは・・・
たとえば組織でいえばガンってやつで(なんのこっちゃ・・・)
あいつさえいなけりゃ
俺達はうまくいくのになぁ・・・
と、勝手に差別することだったりします。
自分にとって都合の悪い奴を排除する・・・
排除しようとすれば
ビルに旅客機が突っ込む・・・
報復すれば、さらに報復が・・・
目には目を、歯には歯を・・・のこの世界は
いったいどこで歯止めがかかるのでしょうか・・・

癌の細胞をやっつけることばかり考えると
結局報復が報復を生むことになり
報復を仕掛けたものはもっと苦しむことになるのかも・・・。
癌と共に生きることをイメージすると
癌細胞の増殖を抑えられるかも知れません。

8年前、僕の母は癌によって殺されました。
癌を殺すことを焦って強力な抗がん剤を使用したことが
年老いた母の体力を消耗させ、それが一番の死因だったと実は思っています。
その抗がん剤の使用がなければ延命はできただろうと推測できます。

たたかう・・・
戦ってはだめで
闘わなければならない・・・
戦いは死を意味し
闘いは共に生きることを意味するような気がします。
戦争は絶対だめで
闘争は重要な生の問題だと思います。
だから闘病なのだと思います。
殺すことではなくて、共に生きるというイメージです。
ガンと戦うというよりは、ガンと闘うでなければなりません。

・・・なので、
戦うオヤジなのか闘うオヤジなのかは重大な課題だと思います。
単なる言葉遊びのようですが
猛烈に重要な分岐点のような気がしました、今・・・。

PS・5月の柏で一緒にやった僕の友人も脳梗塞と闘っています。
言語中枢が大分よみがえってきました。
No.7 東田 2002/09/09(月)
こんにちは、東田です。

山下さん、掲示板まで作っていただき、ありがとうございます。

マスターも大ハーンさんも書き込みありがとうございます。

もっと重度な癌で苦しんでいる方が見たら
「何を再発したぐらいで大層に・・・」とお思いになるかも知れませんが
私もいい意味で「元気なウチにやりたい事をやる」という考えです。

再発発覚直後から8月あたりまでは、気持ちに勢いがあったのですが、
9月に入り流石に少し気分が落ち込んで来ました。
しかし、こんな掲示板を作っていただき、書き込みもあり、
お陰さまで、かなり元気が戻りました。

13日には町の公民館で若者達(最高齢32歳)に混じり
戦うオヤジの代表として
70年代(正確には60年代後半からの)日本のフォークを
唄いまくる予定です。

お蔭さまで、今年、山下さんのお世話で、ようやく手に入れた28は
益々「エエ音」で鳴ってくれています。

当日はこれでもかと、かき鳴らす予定です。

私の奢った考えかも知れませんが、この掲示板を通じて、私が励まされた分、皆さん
も、いい意味で私に励まされればと思っております。

最後に、私にはベタな表現しか出来ませんが、みなさん、頑張りましょう。
No.6 大ハーン 2002/09/09(月)
一度、柏でご一緒させていただいた泉澤(大ハーン)と申します。
その時、東田さんの歌を聞いて、なんと上手いんだと思いました。
味わいがあって、聞いていて楽しくなります。羨ましい限りです。
私も歳(46歳)相応に歌えればいいけど、それって諦めてます。
私の下手くそなギターも、諦めてるんですが、、、(涙)。

ご病気の話は、日記を読みました。私には何もできないので、
ご回復を祈念するだけですが、お許しください。

PS.また、柏で歌われる機会があれば、山下さんの掲示板にお書きください。
是非、時間を優先してお邪魔させていただきます。


泉澤光春(大ハーン)
No.5 niwa 2002/09/09(月)
人生て色々有りますね・・・現実を見据えしっかりと歩んでいくことですかね・・
東田さん
私の2人目の子供は8ヶ月の早産で1150グラムで生まれ死というものも直面しました。
幸い、多少のハンディを持ってますが元気に中学2年生。
また、妻も5年前に健康診断で血液の異常と脾臓の肥大でした。当初は病名が判らずバタバタしましたが、慈恵医大柏病院の血液内科で検査で骨髄繊維症ではとのこと
結果が出るまで不安な毎日でした。
マルク生検で骨髄の繊維化か見られず多血症となりました。現在は日常的な生活は全く問題なく自由に生きてます。
...骨髄繊維症で有れば余命・・・でしたし、またいつ骨髄繊維症に推移するか判りませんが・・・・でもみんな自分の人生として頑張って生きてます。
12月になったらオ−ルナイトの忘年会有りますから遠い所是非来て下さい。

キッチンパタ−タ にわ
No.4 山下 2002/09/07(土) 
東田さん、お待ちしてました。

やはり、皆さんが返事を書き始めるには時間がかかると思います。私も、お聞きして、自分の気持ちを整理するのに、数日かかりました。

しかし、今では東田さんの問題であると同時に、私たち一人ひとりが同じように直面している重要な課題なのだということを理解し始めています。

戦うオヤジの応援団…。戦うのは当事者なのですが、我々はいつ当事者になるのかわからない状態で日々暮らしているはずなのです。しかし、そういうことをいつのまにか忘れていたという状況があります。

応援団として、戦っている方と課題を共有することによって、私たちが直面したときに、新たな戦いを挑むことができるように思います。

「どれだけ生きるか」と「いかに生きるか」、人生の“量と質”の問題なのですが、量は計ることができても、質は計ることができません。質は個々の問題であり、客観的な判断が難しい事柄です。

しかし、量は結果でしか計ることはできませんが、質は自分自身の努力によってアピールすることもできれば、その過程で満足を得ることもできます。

東田さんの気持ちを理解する努力をすることによって、自分自身の人生の質を高めることができると確信しています。

70年代フォークに魅力を感じるのは、そういう事柄を正面から捉えようとする意思が感じられたからなのではないでしょうか…。
そんな気もしています。
No.3 東田 2002/09/07(土)
内容が内容ですから、中々書きにくいと思いますのに内容のあるレスポンス、誠にありがとうございました。

私もこのような立場になったことをいい意味でなんとかプラスに持って行けたらと思っております。

私が今まで演った「生活の柄」で一番気分よく楽しく演れたのは前回のパタータでの納涼大会でした。是非もう一度やりましょう。
No.2 柘植 2002/09/07(土) 
何度も迷いましたが、勇気をもって書き込みますね。

たぶん、みんなが闘っている相手は、組織や社会でなく、自分を取り囲む現実なんですよね。
東田さんには、それを身をもって示していただいているように思えてなりません。

一刻も早い完治を、市川の地よりお祈り申しあげます。
また一緒に、生活の柄を歌いましょ。 

No.1 山下 2002/09/05(木) 東田さんのHPをご覧下さい

みなさん、こんにちは。

戦うオヤジの応援団でもご活躍いただいている兵庫の東田さんが、
ご自分の状況をHPの日記に公開されました。
まずは、お読みください。

http://www2.nkansai.ne.jp/users/threeway/nikki-3.htm