1972年のフェスティバル
みつこ(♂)
  

歳をとると、昔の記憶が、ふと浮かび上がったりすることがある。
今を去る30有余年前、某私立大学の4年生だった私とその同級生は、福岡の電気ホールにいた。彼はどういう伝手か、財津和夫率いるチューリップのバンド・ボーイのアルバイトをやっており、かぐや姫、井上陽水、及川恒平など、当時の錚々たる出演者による一大フェスティバルに参加する為、東京から大型バンで機材を運んできたのだった。
私は冬休みで九州に帰省するのにタイミングが合ったので、機材運搬を手伝う条件で同乗させてもらい、ついでにコンサートも見せてもらった。(今で言う超ラッキー!)
東京から東名神で神戸に向かう。ついでに神戸の私の叔母に挨拶し、夜のフェリーで瀬戸内を北九州・苅田へ。そして、いよいよ陸路、福岡へ。

コンサートの中身については、さっぱり思い出せない。しかし、何故か、リハーサルなど、楽屋の情景が記憶に残っている。
チューリップの思い出は、もう時効だと思われる、次のこと。
当時、アコギからエレキに持ち替えて間もないと言う、リードギターの安部俊幸さんは、どうしてどうして、なかなかのものだった。
しかし、レコーディングでは、ハイポジを他人(小生の友達)の手を借りて押さえていたらしい。(内緒の話)
今では太ったおじさんになっている姫野さんも、当時は紅顔の美青年で、バンド・ボーイの友達(私のこと)にも気さくに話しかけてくれた。
親分の財津さんは、いつも超然と一人でいることが多かった。(ちょっと、怖かった)

もう一人、バンド・ボーイをしていたメンバーで、井上さんと言う人がいた。
コンサートが始まる前、大部屋で出演者がわいわいと歓談していた時、電話か何かの用事で、その井上さんを呼んだ。すると、「はい」と高い声で先に返事をしたのは、やはりその部屋にいた、アフロ・ヘアの井上陽水さんだった。そこに陽水さんがいたのは、実は知らないわけではなかったが、うっかりしていた。「あ、すみません。こちらの井上さんです」と訂正したが、大赤面。

驚いたのは、リハーサルの時。井上陽水さんが、マイク合わせで歌っていたのは、ポール・マッカートニー。
突然大きな声になって歌いだしたのが、多分今となっては、知っている人は少ないだろうと思われる、「Monkberry Moon Delight」。
この曲は、アルバム「RAM」に入っているマイナーな曲。そして、静かな曲としては、ソロになって最初のアルバムから「Junk」。
その時、「あ、この人、いいかもしれない」と思った。「ポールが好きなんだ・・・でも、この人は、オリジナリティがいっぱい・・・」
敢えて言えば、あの頃は日本のフォーク・シンガーの歌なんて、「どうせボブ・ディランの真似をする類だろう」と思って、全然聞いてなかった。

しかし、あの時、陽水さん、ヤイリのYD304を弾いていたのかなあ?そこら辺は、記憶が欠如している。
この事件とは一切関係なく、福岡の日本楽器で私がYD305を買ったのは、これから1年後のことだった。

 
2005/04/24
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