Tsugeのブルージー・エッセイ
 ある日僕は、美味しそうなブルーズを見つけた Vol.2
Tsuge
  ●ハロー・ニューオリンズ●

1998年3月、僕はニューオリンズにいた。

ポケットにはハープ。マディ・ウォーターズを気取って白いハンチング帽をかぶり、きままな1人旅…。ではなっかったが、とにかくニューオリンズの地に立っていたのだ。本来ブルーズファンならば、行くべきところが違うと思うのだが、そこは悲しき妻帯者。まぁ、これだけ有名な黒人音楽の都だから、きっと楽しいこともあるだろう。てな感じで僕のニューオリンズの旅は始まったのだ。

LAから飛行機に乗り数時間、タラップを降りた第一印象は“暑い!!”だった。まだ肌寒かったロスとは大違いで、まるで梅雨時の東京のよう。空港は意外に閑散としており、到着したらデキシーランドが迎えてくれると思った僕の期待は、見事に裏切られた。

ニューオリンズの空港は例外なく郊外に立地しており、中心部のフレンチクォーターまではタクシーで移動する事になる。所謂ニューオリンズというイメージは、このフレンチクォーターとイコールと考えていいだろう。僕を乗せた車は、夜のハイウェイを数十分飛ばした。距離にしておよそ15〜20kmくらいか。やがて僕を迎えたのは、不夜城バーボンストリートの輝きだった。街には歌舞伎町のこどき腐敗臭とアルコールの匂いが充満していた。常にどこからかビートを刻む音が聞こえていた。ジャズだ!リズム&ブルーズだ!ファンクも聞こえる!もう、たまらなかった。ホテルにチェックインすると、荷物を放り出して夜の街に飛び出していった。僕の旅が始まったんだ。

●ミシシッピ川の水の味●

ニューオリンズに来た翌日、僕は船上の人になっていた。ナッチェス(だったかな)というトム・ソーヤ気分の外輪船に乗り、ミシシッピ・クルーズと洒落込んでいたのだ。

そもそもニューオリンズに来た目的の一つは、ブルーズの母なる川・ミシシッピを訪ねる事だったから。ナッチェスは観光用の船ではあったが、僕にはそれでも十分だった。ディープサウスの風に吹かれ、土色の川を見つめるだけで満足だった。ジョン・ハートもマディ・ウォーターズもこの川の恵みで育ったのだ。川幅数百mに及ぼうとする大河は、アフロ・アメリカンの苦難とブルーズの歴史を乗せ、その日も滔々とながれていた。

僕は日本から持ってきたブルースハープを吹いてみた。僕の手の中にあるmade in Japanのそれは、日本にいる時より心無しかいい音を出したような気がする。そしてクロマチックハープを持った白人が声をかけてくれた。残念ながらkeyが違かったのでセッションはできなかったけど。「Good Sound」って言ってくれて、嬉しかったな。

かつてこの地でハープは“プアマンズ・サキソホン”と呼ばれていたらしい。なんとも南部らしい、土臭い話だよね。ところで日本では、船に乗ってハープを吹くなんて行為、恥ずかしくてとてもできないんだけど、ニューオリンズにはそれを許容してくれる懐の深さがあった。せっかくここまで来た記念だ、恥かきついでだ。僕はミシシッピの水をなめてみた。トロンとしていて甘かったよ。対岸には巨大な砂糖の精製工場が見えていた。南部なんだね。

●ライブハウスでフーチー・クーチーで踊った●

夜ともなれば、フレンチクォータは飲めや歌えやの大騒ぎ。ストリップ劇場の女は悩ましい腰付きで旅人をさそう。窓を開け放った(というより、窓なんかない)ライブハウスからは、景気のいい音楽が聞こえてくる。日本のライブハウスの多くは地下にあって、入場しないとどんな音楽が演奏されているのかわからない。だけどここのライブハウスは何をやっているのか丸見えなのだ。そして旅人はいろんなお店をひやかして歩き、お気に入りのバンドを見つけたら店に入って一杯やるのだ。

僕は当初、この街はあくまでジャズが中心なんだと思っていたけれど、実はリズム&ブルーズからファンク、弾き語りや8ビートのロックまで何でもありだった。そしてスィートホーム・シカゴのメロディーに誘われその店に入ったんだ。

Vo/G、B、Drのトリオの黒人バンドはブルーズのスタンダードを演奏し続けた。時にジミヘンなども交えて。客は音楽にあわせて踊り、飲み、笑い、思い思いのスタイルで楽しんでいる。ステージの脇には小箱があって、リクエストはチップとともにここに入れる仕組みだ。僕も幾許かの紙幣とともにリクエストを入れた。ナンバーはマディ・ウォーターズのアイム・ユアー・フーチー・クーチー・マンだ。

時計の針が1時を回ったころ、例のイントロが始まった。Vo/Gのでっかい黒人が、Japanes boyからのリクエストだと言う。日本人がブルースをリクエストするのは珍しいのだろうか、僕は店中の注目を浴び、白人のオバさんにはダンスにさそわれた。すっかりいい気分になっていた僕は、酔った勢いも手伝って立ち上がったんだ。得意のタコ踊りを披露し、千鳥足のフットワークでテーブルをひっくり返し、ビールびんを割り、酔っぱらい達のヒーローになっていた。そして最後には大きな声で一緒に唄っていたんだ。どういうわけか皆に握手を求められた。ニューオリンズは大平洋を越えてやってきた、インチキブルーズマンにもフレンドリーだった。音楽は人種を越え国境を越えるという常套句を、始めて素肌で感じた一瞬だった。

ブラックにはブラックの、イエローにはイエローのソウルがあって、歴史や民族性は違うけど、でもそれはとても近い所にあるんだね。共通の媒体さえあれば、気持ちは通じるんだ。この夜は僕にそう教えてくれた。 ここにもクロスロードは、あったよ。

※この文章はジョニィ&ブレンダホームページに掲出されていたものを、Tsugeが加筆修正したものです。
  
 
2003/05/13
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