2004年6月30日
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「天下御免の下手の横好き」
 
(まさじい/42歳/兵庫)
 

音楽の嫌いな子供だった。幼稚園の入園式で、年長さんの合唱に耳を押さえて「やかましー!やかましー!」と喚いたくらいの。園児達の音楽的未完成度に我慢がならず、なんてことがあるはずもなく、ただ単に騒音としかとらえられなかったのだろう。
親はあせっただろうが、今となっては笑うしかない。
まったく馬鹿だねえ。あははは。

家には楽器なんてなくて、音楽もあまり流れていなかった。貧しい家だったのでレコードなど買う余裕もなかったのかもしれない。たまに父親が鼻歌で「何とかの女」とか古い軍歌なんかをやっていた。いまなら、それはそれ、味わいのあるものとして理解も出来るかもしれないが、幼稚園児には、そりゃ無理だ。

で、音楽嫌い遺伝子が見え隠れしながらも、小学生までの期間を過ごした訳だが、リコーダーとか、オルガンとか皆でやるのが嫌で仕方なかった。ただ声は良いと言われた。マイクによく乗ると煽てられて放送クラブに拉致され音楽会のMCなんかやらされたから悪くはなかったんだろう。あくまで比較の問題だが。

中学はプロテスタント系の私立男子校だった。音楽の時間は賛美歌とクラッシックに占領されていて、音楽嫌いに磨きをかけるしかなかったのだが、文化祭のステージで出会ってしまったのだ。ギターと。
オトコマエの先輩がギターを弾いていた。たしか陽水だったと思う。他校の女子生徒がキャーキャーゆってた。その時単純に思ってしまったのだ。
ギター弾くとモテル!

馬鹿である。本当に馬鹿である。
しかし、馬鹿は馬鹿なりに考えた。上手くなければステージに立てない。無理矢理あがっても、カッコ悪いだけだ。まあ、ここまでは良い。ここからがいけない。上手くなったらモテるぞって、そりゃちゃうやろアンタ。ってワタシのことです。すいません。

親を拝み倒してギターを買ってもらった。初心者用の合板ギターだったが一生懸命に練習した。ステージの自分を想像しながら。
だが、音楽不適応の遺伝子が邪魔して全く上手くならない。おい、そこのDNA!しゃきっとせんかいって言ってやりたい。言っても無駄ですね。はいはい。

そこで馬鹿が再び考えた。演奏が駄目なら創ってしまえって無茶苦茶ですが、人と同じ事をするのを良しとしない性格なので、まあこれはこれでよかったのかなあ。

そのせいか、ギターとの関係も付かず離れずながら今まで続いている。
それどころかD−42を得たことでギター熱はヒートアップしてきた。
多分これからも付き合って行くんだろうなあ。下手の横好きだけど。
もう一度ステージにも立ちたいとか思ってきたなあ。無謀だけど。

え?モテタいってのは、どこ行ったって?もう、そんな時代は過ぎましたよ。
はっはっは。(ちょっと期待したりしてるけど。内緒やで。)
 
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