2004年7月26日
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「熱気あふれる60年代末期」
 
(Morjinこと浅尾/50歳/兵庫)
 


66年の夏、理科好きの小学6年の少年は夏休みの工作にゲルマニウムラジオ製作を思い立ち、総武線に乗って秋葉原へ部品を買いに出かけた。
当時の秋葉原はまだまだジャンク屋が巾をきかせ、一畳ほどの店先に所狭しと真空管やコンデンサー、抵抗などを並べたて、大人たちの間に割り込んで、好奇心で目をきらきら輝かせている電波少年たちを虜にする、一種阿片窟のような街だった。

とある店先へ来たとき、少年は今まで聴いたことがない音楽がラジオから流れているのに気づいた。外人の男と女が気持ちよさそうにコーラスしているのだが、当時大流行のタイガースや夏休みの直前に来日したビートルズとやらとはぜんぜん違う、かといって眠くなるクラシックでもない、結構ノリのいい音楽だった。でも、少年は音楽にのめりこむタイプではなかったので、ちょっと聞いただけでそのまま通り過ぎたのだった。

9月が近づき、やっと完成させた手作りのゲルマラジオをいじくっていると、秋葉原で聞いたのと同じような音楽に再会した。今度は男ばかりで、なにやら皮を張りすぎた三味線の音に合わせて「〜とむとじぇり〜」と歌ってるように聞こえる。TV漫画の歌を外人が三味線を弾きながら歌ってるのかと少年は不思議に思うのだった。しかし、その時自作ラジオの性能向上に気を取られる少年は、その音楽が何たるかを深く追求することはなかった。

中学に進むと少年はアマチュア無線の資格を取り、真空管で送信機や受信機を作り出す一方、音楽にも目覚め、英語の勉強と称してはFENを聞いていた。ゲルマラジオで聞いた、あの不思議な音楽が先輩の大学生・高校生の間で演奏されており、明るい「〜とむとじぇり〜」の歌が、実は「Tom Dooly」という悲しい絞首刑の歌だったことを教わった。ギターは既に知っていたが、あの三味線のような音を出すのがバンジョーといって、胴体が大きなタンバリンで出来ていることも驚きだった。ディランというダミ声だけどパワーのある歌手が売れていることもその頃知った。

世の中は明日のジョーや星飛雄馬、タンゴを踊る黒猫に帰ってきた酔っ払いや全共闘やらが街に熱気を振り撒き、中学生の少年も先輩に誘われるまま熱に浮かれて集会やデモについていく。69年、安田講堂は陥落してしまったが、通学の通り道だった新宿駅でのフォークゲリラとの出会い・・・・・。こうして15歳を迎えた少年は60年代末期を駆け抜けて行った。


                          
 
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