「ギターと私」 |
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(つぶちゃん/41歳/大阪) |
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私がギターに初めて触れたのは、小学校の頃「上高地」というラベルの貼られたギターでした。小学生に鉄弦は厳しく、ほとんど弾かずに捨てられました。次に出会ったのはガットギターです。NHKのレッスンを見ながら「禁じられた遊び」ばかり練習していました。しかし少年野球や、中学校で始めた軟式テニスの練習で、ギターは全く弾かなくなりました。
中学2年の終わり頃、校内合唱コンクールで友人がスリーフィンガーでフォークギターを弾く姿を見て衝撃を受けました。そのとき家にたまたまあった白いフォークギター(景品)で練習を始め、毎日家に帰ってはギター三昧の日々を送っていました。そのころは、かぐや姫、井上陽水を練習していました。翌年の合唱コンクールで「岬めぐり」をスリーフィンガーで弾いたのは言うまでもありません。
高校に入学したとき、祝いに親がモーリスW−100を買ってくれました。それが今でも弾いている大切なギターです。高校時代はアリス、さだまさし、かぐや姫、友人の影響でビートルズ、大阪のバンドで「DOVE」の曲を演奏していました。マーチンと出会ったのも「DOVE」のライブでした。
大学では「ぺんぺん草」というサークルに入りました。(ここで付いたニックネームが「つぶちゃん」です。)週2回全体合唱(曲を4部合唱で歌いながら踊る)の練習があり、その他の日はサークル内で作ったバンドで練習をしていました。このころからオフコースや浜田省吾、チューリップのコピーをしだし、エレキギターやベースがメインになってきました。友人がD−28を持っていたのですが、あまり興味が無くなっていました。
卒業と同時に就職し、しばらく音楽から離れていましたが、3年位して昔の仲間とバンドを始めました。ディープパープルをコピーしたり、沖縄ロックをしたり結構楽しくやっていましたが、阪神大震災の時から休止状態になっています。それからは仕事が忙しくギターに触ることはありませんでした。
インターネットを始め、「戦うオヤジの応援団」を知り、アコギが無性に弾きたくなりました。たまたま入ったアメリカ村の三木楽器で中古のD−41とD−40FMGを弾いたとき、どちらもすばらしかったのですが、W−100と違う音色、ベッコウ柄のバインディングなどが気に入りD−40FMGを購入しました。これが私の初マーチンです。そして2ヶ月後D−18GE、そしてさらに2ヶ月後D−28(1962)と合計3本になってしまいました。その他W−100、ヤマハ12弦、バンジョー、エレキP-project
PAW-4、ヤマハエレキベース、嫁さんのバイオリン×2本、アップライトピアノが6畳間にひしめいています。(ドラムは職場)
今はフィンガーピッキング中心で、押尾コータロー、中川イサトを練習しています。狙っているギターは、ボディサイズOMクラスのカッタウェイで、「夜中に一人で静かな曲を弾いて癒されたい」がテーマです。OM−45カッタウェイなんてあればいいんですけど。 さーお金貯めよ・・・
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