2004年8月23日
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「ギターを弾いてはいないけど・・・」
 
(とむりん/39歳/千葉)
 


実はこの何年もギターを何時間も弾くことはほとんどない。たまに爪弾く程度である。ギターは今現在も横にぶらさがっていて、手を伸ばせばいつでも弾ける状態にあるのに。ギターが嫌いになってしまったのか、あまりに身近すぎるのか。ギター弾き語りの楽譜も手の届く位置にいつもある。

ここに参加されている方からみれば、邪道と言われるかもしれない。しかし、ギターを始めていなかったら、今の仕事や家族、山下さんとの出会いもなければ大きく人生が変わっていた。現在の生活に多大なる影響を与えた、そんなギターについて語る。

ギターを始めたは中学生の時(ヤマキのギター)、スタートはアリスだった。初めて練習した曲は「冬の稲妻」。しばしアリスにひたる期間があった。楽譜を買い弾きまくっていた時期である。中3の時から拓郎を聞くようになり受験と重なり自らの進路や生き方について年相応に考えるようになった。そして彼との出会いで大きかったのはSaxプレイヤーのジェイクの音を聞いたことである。拓郎の歌と同じようにSaxその音に影響をうけた。

当時は受験生の身でありながら、毎日のギター演奏はかかさずにしていた頃である。その後高校で入部したのが「吹奏楽部」。当時「ナベサダ」の人気もありSaxは人気パート、また備品としての台数も限られており、中学での経験者がやることとなり、私はクラリネットをやることとなった。

 高校でのギターは個人とバンドの2つの活動。文化祭や新入生歓迎会等で演奏するのが唯一の発表の場であったといえるだろう。1度だけ東京足立区千住の「甚六屋」というライブハウスのだれでも参加できる日に参加したことがあった。そのときに歌ったのが拓郎の「僕の歌はサヨナラだけ」と記憶している。大学のサークルで3人のバンド(ドラム&ベース&ギター)で「氷の世界」を演奏した際に、会場の外で演奏を聞いていた先輩が「いったい誰が何をやっているんだ?」(ギター&ボーカル&ブルースハープで1名だったので)と会場に入ってきたことが思い出である。ギターでの活動はこの時期で停止している。

 それに反して吹奏楽の活動時間は増えた。市民バンドに加入していたのであるが、学生という時間のある身を活かし運営などにも関わった。そしてこの馴染みのない楽器の音をいろんな人に聞かせることができればと考えるようになった。そして練習場所の公民館での活動が評価され、市の産業祭りのステージで演奏する機会を得ることができたのであるが、ここで事件が起こった。

当日の朝、楽譜担当者が集合時間にこないのである。相当時間遅れて本人が到着。楽譜を載せた車がないとのこと。楽譜は紛失を避けるため毎回回収し集中管理していたのである。実は車は彼の兄の物で、早朝に外出してしまったとのことだった。現在と違い携帯電話のない時代である。楽譜の無い状態でステージに上ることとなった。週1度の練習で暗譜などできているはずはない。メンバーは高校生、大学生がほとんどである。予定の半分の時間でしかもボロボロの演奏で終了したことは言うまでもない。今となっては笑い話である。

 そんな中で知り合った女性と家庭を持つこととなっている。また現在加入している楽団の在籍中に勤務先の会社が倒産をした。楽団という中にいて不安を解消できる場所があったために比較的穏やかな気持ちで新しい仕事を探すことができたといえる。そんな条件の中から現在の会社となり、仕事の関係から山下さんとも知り合うことができ、このエッセイも書くことができた。

現在の休日の過し方の中心は吹奏楽であることは言うまでもない。
これが「ギターは弾いていないけど」現在の生活に多大なる影響を与えている理由である。

下がっているギターは今子供が興味をもって触りはじめているが、今後どうなることやら。


  
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