2004年11月8日
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「生涯ギタリスト」
 
(Sketch/46歳/神奈川)


数年前「自分は何ができるのだろうか?」と自問していた時期がある。
それまでの十数年はコンピュータ関連の翻訳をさせていただいていたのだが、どこか“腰掛け”的でバイトの延長みたいな部分があった。また、外に出ないというのがたたってパニック障害という厄介な病気も抱え込んでいた。このままでは心がもたないと思ったわけだ。  

コンピュータと英語とギター。この中で息長く続けられるものといえばギターだろう。しばしブランクはあるが、その間まったく弾いていなかったわけではない。改めてギター界を覗いてみると、80年代の一時期活動していた頃に一緒に演奏したり名前を聞いていた人達が一線で活躍していた。これは嬉しかったと同時に多いに励みになった。  

ある程度の覚悟はしていたが、活動を再開して間もなく、この世界で食べていくことの難しさを痛感することになる。
最初は保険として翻訳も細々と続けていたが、元々器用な方ではないので、両立させるということができない。金取って人に聴かせる以上、空いている時間に練習するというのでは失礼だし、かといって練習に誰かがギャラを支払ってくれるわけではない。ライブそのものも、たとえそこそこの集客ができたとしても、それが毎日のように続かない限り食べていけるレベルにはならない。  

先が見えないまま、二年ほど活動を続けてきたわけだが、この間、得たものも数多くある。まず、人前で弾くということに慣れた。以前は気負いから、テンポは速くなるし、右手は必要以上に弦を引っ張っていたのだが、平気で小さな音も出せるようになった。それと、やはり出会いだろう。翻訳をしていた頃は、メールとか電話でしか接しなかった人が多かったため、この二年で知り合った人の数はすでにそれまでの十数年に出会った人の数を上回っている。病気にもなるわけだ。  

最近では、ギタリストであるということを理解した上で翻訳の仕事をくれるクライアントも出てきた。ありがたいことだ。まだ「禁じられた遊び」すら生で聴いたことがないという人が多いみたいなので、まだまだ開拓の余地はいっぱい残っていると思う。そこには、自分の役割もあると信じて今後も活動を続けていくつもりだ。
自分にとってギターは決して趣味ではないし、かといって単なる仕事の道具でもない。年齢に関係なく、新しい発見をもたらしてくれる道具であり、時に人を癒すことができる道具なのである。


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