2004年11月30日
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「親父のセイヤ!で青春再出発」
 
(猫手借舞/46歳/山口)


押入れの奥でほこりをかぶっていたマーチンを引っ張り出し、声とリズムについて行けるうちにと、お宅録音をおっ始めた。
子育てに一息ついた親父が夕陽を見つめ、「さ〜て、何スンベ?」と立止まった時、悲しいかな私にはこれしか思い浮かばなかった。

学生の頃、かぐや姫や拓郎のレコードを擦り切れるまで聴いては「誰よりも上手くコピーした〜い」と、耳コピに命を賭けていた。
しかし、本物の音色までマネすることは無理だと気づいてしまい、就職して2度目の冬、全財産を注ぎ込みマーチンを手に入れた。
「な、何てことしたのアンタとこの息子は」
と親戚中から罵声を浴びさせられたことを覚えている。
夢にまで見た物本のマーチン、HD−28(1977)である。
初めて手にし、Eコードをジャラ〜ンと弾きおろした時のあの衝撃的な感覚は、今でも忘れることができない。

岐阜に住んでいた頃、柳ヶ瀬のスナックで偶然に知り合った相棒とフォークデュオを結成。「猫手借舞(にゃんにゃこまい)」と称して、ライブ活動やコンテストなどに参加していた。
音のバランスが悪いと、彼にもマーチンD−35を無理やり買わせてしまい、結婚までの4年間だったが、充実した青春時代を送ることができた。

あれから20年、パソコンを使用したDTM(宅録)に魅せられ、家族には内緒で「猫手借舞」の復活を密かに狙っていた。
6年前に地元有志30人ほどで”おやじクラブ”を結成し、地域の子どもたちを育もうと、学校行事などのお手伝いをしている。
昨年秋にクラブのテーマ曲”親父のセイヤ!”を作り身内受けし、「この歌で日本中の親父を景気づけよう!」
と勝手に思い込んでしまい、ホームページまで立ち上げるハメに。
この歌がなかったら、このサイトを知ることもなっかたのである。

40を過ぎ、家族に相手にされなくなった親父の一人遊び?
いやいや、この歌にもあるように「今が青春」と開き直り、親父バンド成るものの結成を企てている。
あの時に成し得なかった年末紅白出場を夢見つつ・・・

         おいでませ、猫手借舞ワールドへ

            http://nyanko.sub.jp


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