2005年2月10日
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「想い出」
 
(matuhasi/50歳/青森)
 

初めて「ギター」なる物を持ったのは、中学校2年に叔父からもらったガットギターでした。ところが、その頃から「吉田拓郎」氏がメジャーになり、小生も例に漏れずレコードを買いまくり、コピーしまくりました。ところがギターの音がぜんぜん違うのです。何だろう、と考えた末「鉄弦」の音と思い当たりました。で、ガットギターに鉄弦をはり、鳴らしたのが「アコギ」との出会いでした。

それは高校2年の春までの命で、その後ヤマハの「FG250」を親に頼み込み買ってもらい、本物の「フォークギター」を手に入れたのです。が、「FG250」は丸ネックで太くバレーが難しかった事を覚えています。

その「FG250」は大学浪人をしての「仙台」の予備校にもお供をし、学業もそっちのけで練習したものでした。当時は「ジャカジャカ」とストロークだけでしたが、仙台の下宿で同宿した人から「加川良」や「高田渡」「PP&M」「カーターファミリー」「ウディガスリー」などを聴かされ、カルチャーショックを受けたものです。

以後、フィンガープレイが主になりピッキングは「カーターファミリー」のみになりました。当時フィンガープレイは亜流であり「カーターファミリーピッキング」は稀でした。そのころ「マーチン」なるギターが有り、その音はギターの最高の音との噂でした。

仙台生活を終え、故郷の大学に進学した頃、ある日遊びに寄った楽器店に「マーチン」の「0−18」の中古が飾ってあり「値段はわからない」とのことでしたが、なんとか頼み込みアルバイトで貯めこんだ16万円で購入しました。Dタイプとは異なり、フィンガープレイが主流になっていた小生には、そのバランスは最高に思えたものです。そのマーチンで「ライブ・スポット」荒らしをし、幾らかの出演料を貰ったものでした。

20歳くらいの頃のことです。もの珍しさも有り、4件くらい有った「ライブ・
スポット」では結構人気があったものです。そのころ自分に言い聞かせていたものに「絶対にコピーはやらない。やるならオリジナルを・・・」というものがありました。で、オリジナルをやるからには中途半端な練習で演奏するのは、お客に失礼と、懸命に練習したものでした。

その思い出の「マーチン」も仲間の結婚祝いにと、安く譲ってやりました。今思えば「ブルース」が得意のギターでした。その後「ギブソン」の「J45」なども手に入れましたが、小生の弾き方には合いませんでした。

そうこうしている内にエンジニアに転向した小生はギターから遠ざかり、気が付けば50歳。しかし、ギターへの思いは捨てられず、今は「S・ヤイリ」の「YOE−28/N」一本でボロンボロンとやっております。

25年前のテクを思い出そう、と・・・。

 
 
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