2005年2月14日
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始まりは45歳のJ-45
 
(KIKU CHAN/48歳/長野)
 

 ギターをじぶんで買うのは、初めての体験。それがギブソンのJ-45だった。45歳の誕生日に、じぶんへの45のお祝いとして、女房を拝み倒して購入した。

 姉のお古のギターを弾いていたのは、中学高校の時代。それから、25年以上も遠ざかっていたのに、なぜか、無性に弾きたくなったのだ。それは、半年前から始めた禁煙のせいだと思う。禁煙をした分、お金が浮いたから、ギターくらい買えるのだ。というのが、女房への口説き文句であった。

 それからというもの、中年のおじさんが、毎晩、少なくとも10分くらいは、ギターに触れている。レパートリーは、ブルース、ボサノバ、クラシックと節操がなく、ようやく暗譜できたのは5曲くらい。目標は、20曲くらいのレパートリーで演奏会を開くこと。やはり30分くらいは、会場を持たすことができないとなぁ。なんて、窓の外に目を細めて、夢を見ているのだ。

 ギターを演奏すると、しばし、心が解放される。気持ちよくなれる。これは、たばこや酒の比ではない。音楽には、陶酔の作用がある。見る、聞く、踊る、奏でる、どの立場であっても、いい音楽は気持ちのよい体験を与えてくれる。音楽は、ドラッグを使わない合法的トリップなのだ。だから、情報に振り回され疲れた現代人にとって、アコースティックな響きは魂の妙薬。じぶんをふくめ、おじさんたちが、ふたたびギターに引き寄せされているのも頷ける。

 さて。J-45の購入から3年。48歳の誕生日を迎えた私の部屋には、なぜか、J-45以外に2本のギターがある。ひとつは、タカミネのエレガット。ジプシースイングに合う音を探していて、中古の掘り出し物を見つけた。もうひとつは、今井勇一の純クラシック。これは、なじみの楽器屋で、つい、迂闊にも試奏してしまったのがきっかけ。とにかく、低音の深み、高音の張り、と音がすばらしく、心に沁みた。買う気はなかったのだが、誘惑には勝てなかった。

 この「もう1本」という誘惑は、どうやら人から人へ伝染するようだ。最近、ギターが縁で知り合った、おじさん仲間の一人から新しいギターを買ったという連絡が入った。あれほど試奏してはいけない、と言っておいたのに。
みなさんも、「試奏」という悪魔の囁きにはご注意を。私は、3本のギターといっしょに暮らして、もう後悔はない。もう、これで、満足のはずである。もう、これ以上増やすつもりはない、はずである、きっと…。

 
 
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