2005年2月20日
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「私とマ−チンギター」
 
(dadgad_om18v/48歳/愛知)
 

最初のギターは、長兄のYAMAHA ダイナミックギターにフォーク弦を張ってかき鳴らしていました。毎日、帰宅するとすぐに食事も程々に、何時間弾いていたのか?気がつけば毎日深夜でした。

しばらくすると、次兄がギターを一本ぶら下げてきてくれました。YAMAHA FG-160との出会いでした。高校生の頃は、ピックガードをGIBSON HUMINGBIRD のタイプに張り替えて、指板のインレイも白マジックで書き込んで、遠目には、それっぽく見えていたようで、文化祭出演時に友人がMartin D-35を借りてきて司会がギターの値段を言ったために、舞台から降りてきた私を先生がつかまえて、そんなに高いギターを持ってきてはダメだと注意されましたが、やはり、ピックガードのおかげで、とんだとばっちりでした。(内心少々嬉しかった・・・)

それからは、大学時に、YAMAHA L-6(これはまだ手許にあります)をバイトで稼いで購入!!でも、内心は いつかはマ−チンでした。その頃は、高石ともやとザ・ナタ−シャ−セブンにハマって、私はマンドリン担当。カスガF-typeを購入。金海さんや坂庭さんのマンドリンを徹底コピーの毎日でした。(何故か、大学では軽音楽部でグレコのストラトでブルースやロックンロール・ビートルズやマッカートニ−のウイングス・ストーンズ etc.おかげで、音楽の世界は広がりましたね)

はてさて、就職が決まって(京都の十字屋さん)自分のお金がある程度自由になったから大変です。目の前に欲しい楽器は売る程あるは、レコードも同じ状況、おまけに、給料天引きで伝票で買えてしまうし(社員割引もあるし!!)生活はめちゃくちゃでした。月給の明細書をみて吃驚。先輩・友人宅にどれだけお世話になったか!!

でも、マーチンは高嶺の花 ブルーグラスをかじっている私にとって一番欲しい1976年に発売されたHD-28は定価で40万円!!初任給70,700円では買えません!!ところが、同じ売り場で働いていたバイトのo君がD-45を買うために下取りに出した内の一本にHD-28があったのです。(なんで、バイトの人がD-45買えるの?)それを、20回払いで人生初のローンを組んでついにマ−チンオーナーになりました。

このHD-28は、かなりの間私の愛機でしたが、6弦がフレット音痴で何度か修理に出しましたが、最後まで納得できないギターでした。姑くはマ−チン病も発病しませんでしたが、サンタクルーズが出てきた頃から怒濤のギター遍歴が起きます。トニ−ライスがクラレンスの1935年製のヘリングボーンを入手して、サンタクルーズのトニ−ライスモデルを弾くようになり、ハカランダの希少性がマニア心をくすぐって、ハカランダの最後のトニ−ライスモデルを入手した頃からが大変でした。その頃のマ−チンがしっかりしていなかったので(今のようにビンテージシリーズやGEシリーズがなかったので)ついつい、個人作家ものに目が行ってしました。

そのおかげで、1992年位から全国のビンテージショップに行かせて頂きそれこそ凄いギターを何本も弾かせて頂きました。音についても、木についても(材料ハカランダ・マホガニー・エボニ−etc.)、状態(ピッチ・ブレーシング・etc.)や年式による特徴や違いなど、マ−チンについては頭でっかちになってしまいましたが、実際に本物を確認できたのは幸せでしたね。(ヘリングボーンも何本も弾かせてもらいました)

そんなこんなで、結局手元に残っているのは(というか、フエイバリットは)MARTIN OM-18V です。スケールは D と同じで ボディーサイズは OOO なので、音に張りはあるし柔らかい音も出るし、もちろんピッチも大丈夫。マイク乗りも良いし、楽器も軽いし(ビンテージケースは重いですが)最高です。

でも、いつかはOM-28GEかOM-45GEが欲しいな!!なんて思っています。(いつのことやら?)

 
 
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