2005年2月28日
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「My音楽略歴書(自己紹介を兼ねて・・)」
 
(カセ/50歳/東京)
 

がんばっている皆さんコンニチワ!
小学校の6年頃、ラジオから流れてきたPPMを聴きギターの魅力にとりつかれてから早や40年。最初はガットギターに鉄弦を張りコードを覚えつつ、生まれて初めてアルバイトをしてカワセのマスターを買ったのが中学3年の時。その日からギターとは縁が切れない人生になってしまったようです。

アメリカンフォークのコピーから始まり、カレッジフォークのコンサートに通い(当時、松任谷正隆さんが慶大生でキングストンのコピーバンドをやっていた頃です)、やがて少しづつオリジナル曲にも目覚めはじめ、大学時代ではオリジナル曲中心のバンド(赤い鳥のような5人編成でしたが)と学外ではプルーミッジと言う当時東京ではけっこう大きなサークルで充実した活動をさせていただきました。
ギターはマスターとヤマキの12弦で、当時はまだブルジョアジーを否定する時代でしたし、演奏することそのものが主で、またMyギターに愛着と信頼を置いていましたから他のギターがほしいとはほとんど考えていなかったような気がします。

社会に入ってから音楽専門学校に10余年勤めたこともありましたが、その間、ジャンルを問わずさまざまな国内外のプロの演奏家や講師の方々と間近で接し、音楽の凄さ素晴らしさを実感いたしました。

現在は「若い人たちに少しでもギターの良さを・・!」と初心者向けのギター等を中心に扱うよろずやのおやじですが、4コード憶えれば5〜6曲は歌えた昔とは違い、今は初心者には大変な時代かなと憂いでおります。(最初から山崎まさよし等は弾けませんし・・)。

音楽に対する考え方は人それぞれですが、テクニックで聴かせるならばジミヘン・ジョーパス等往年の伝説プレーヤーが沢山いますし、本来フォークは歌詞とメロディー・ハーモニーの調和を自分たち流にできるところが私なりに好きですし、自分のライフワークとして続けてこれたのだろうと思っています。

鳴りの良いD76が店に鎮座しております・・35年近く連れ添ったマスターは6回目の修理に耐えた後引退させました・・ヤマキの12弦はおなかが膨らみすぎて限界になりました・・後継者は弟分のビリーとタコマの12弦が現在のパートナーです。

仕事柄200本程度の中古ギターを嫁がせましたが、ギターたちは「愛着をもって!・・いつまでもガンガン弾いておくれ!!」と叫んでいるようにいつも私には聞こえるのですが・・・。

 
 
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