2005年3月2日
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「日本のヘソ山梨より・・・。」
 
(AA神戸/50歳/山梨)
 

ギターとの出逢いは、亡き父の趣味であり来客があるたび懐メロを歌いながらギターを弾いていた父の姿です。
子供から見た父は無条件にカッコ良く、楽しく過ごしていました。そんな音楽の出逢いがあり、高校に上がるやいなやギター仲間(同級生)の家に泊まり込み(週に5日も)勉学そっちのけで夜中までギターを弾いていました。

その頃、岡林信康の「手紙」に聞き惚れ、何とか自分も「こんなギタリストになりたい」との気持ちが強くなりコピーし始めました。その家のお母様は、「本当に貴方達はギターが好きなんだね。」と言っていました。本心は兄姉の多い自分の家に帰りたくなかったダケなのですが。

「ギターを持ったまま寝てしまうのだから、しょうがないねぇ。」といった笑い話が懐かしいです。

その頃、ヤマハのギターを愛用しておりマーチンを初めて見たのは、加川 良コンサートに出かけた時でした。

その時の大ショックとやらは暫く続き、オレもいずれはマーチンを持つぞ!と心に決め、実現したのは49歳になっていました。

去年、オークションでD−35とHD−28Vを手に入れ、さぁ、本格的に始めるぞ〜。とその時、「オヤ応」のサイトを見つけ、なりもの入りでパタータへ突進しました。

初めての参加が「オヤ応」の忘年会で、仲間の和やかな楽しみ方にさらに感激しました。まだ、こんな空間があるのだ!と、一気にバック・トゥー・ザ・フューチャー。

自分は老け込むタイプではないと考えてきましたが、現実はオジサンになり、初めて知った「初恋の味」といった若返りに自分でも驚いています。

やはり「オヤ応」の空間は、私のコエンザイムQ10であり、新しく命を戴いたような場所です。これからも出来る限り参加していきたいと考えています。

皆さん、宜しくお願いします。
 
 
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