2005年3月17日
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私の青春とマーチンギター
 
(エリック/49歳/神奈川)
 

 みなさん、初めましてエリックです。戦うオヤジの応援団に参加してからなかなかサイト内の掲示板にも投稿せず申し訳なく思っております。エッセイ執筆のご連絡をいただき、何か私も発信しようと思っていたのでちょうど良いタイミングでした。

 私は今年で49歳になりましたが音楽との出会いは30年以上も前に遡り高校一年の時でした。当時はスチール弦ギター(当時フォークギターとかウェスタンギターとか言っていた)は高嶺の花であこがれのギターでした。欲しくてもなかなか買えず、ナイロン弦のいわゆるクラシックギターを最初に買って練習していました。当時5000円くらいでしたかね。

 当時はシューベルツ、北山 修と加藤和彦、赤い鳥や五つの赤い風船、吉田拓郎、泉谷しげる、岡林信康などが流行っておりアナログレコード小遣いを貯めてやっとの思いで手に入れ聞きまくっていました。この辺から入っていきました。コードストロークやアルペジオ、スリーフィンガーなど練習してました。高校ではフォークソング同好会に入って文化祭などに出ていました。当時はギターが弾けるだけで結構女子にはモテました。残念ながら私はダメでしたが。

 やがて大学に進み、やはり音楽とは縁が切れません。軽音楽サークルなどに入って活動してました。この辺からブリティッシュトラッドのバートヤンシュ、ジョンレンバーン、フェアポートコンベンション、スティーライスパンにどっぷり浸かりアメリカンスタイルとは違った音楽を聴いていました。

並行してドックワトソンやクラレンスホワイト、ケンタッキーカーネルズなどブルーグラスやオールドタイミーなど聴きまくっていました。大学の近くのライブハウスにも出ていました。やがてハードロックへ足を踏み入れレッドツエッペリンやピンクフロイド、ディープパープル、ELPなどに夢中になりました。そんなハードな音楽の中にもアコースティックギターを使った美しい曲があり、コピーしまくっていました。

 考えてみますとこのころが若い時代一番楽しんでいた時期ですね。そして学生時代に別れを告げ、社会人として一時期音楽(自分で演奏することから)から離れていました。ただアナログレコード、CDはずっと聴いていました。

その後、転職した会社は大手家電メーカーですが、エンターテイメント部門を持っていますので音楽ソフトなども販売しています。やはり音とは縁が切れません。

そしてうちの会社は音楽好きが多いんです。結婚して2年目くらいに転勤があり、転勤先で同僚に音楽サークルに誘われ、18年ぶりに再び楽器を演奏することになりました。

そして第二のバンド活動は今でも続いています。最初は電気を入れたバンドでベースを弾いていましたが、アコースティックギターの演奏を復活すべくマーチンD−41を衝動買いし、2/26に社内ライブで完全復活しました。第二の青春の始まりです。今後はライブ目指してがんばっていきたいと思います。

 現在社内の人達とやっていますが、今後は社外、特に戦うオヤジの応援団メンバーの方と一緒にセッションできたらと思います。偶然にも2/26(土)の日経新聞夕刊にサタデーエンタテイメント欄に「中高年バンド熱く」という記事が出ておりました。新聞そのものをHPに掲載することは著作権の問題もありできませんが興味ある方はお申し出いただければPDFで個人的にお送りすることは可能です。また一緒にセッションを希望の方も連絡お待ちしております。
よろしくお願い申し上げます。

E-mail:gosho@ce.mbn.or.jpまで。


 
 
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