「変人教員のつぶやき」 |
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(こういちよ/45歳/千葉) |
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「公立高校」と書こうとしたら「効率高校」と変換されてしまった。コンピューターも味な真似をする。私はある高校の英語の教員だが、年をおうごとに、学校での仕事がつまらなくなってきている。生徒との年令差が広がっていくからではない。生徒は今も昔もかわいいと思う。教員の仕事の質が変わってきているのだ。
教員を職業として選んだ者は、利潤を追求することが最大の目的である企業社会と、程度の差はあれ、違った価値観を持つ。少なくとも私はそうだ。しかし今の教育現場は完全に企業論理に支配されている。数字がすべてなのである。何人国立大学へ合格させるか、英語検定には何人合格させるか等、自分の目標を数値化したものの提出が年度当初に求められ、その達成状況で教員の「力量」が計られる。こうした目標は自分を叱咤激励するため自主的に設けるのは大いに意味があるが、数値化された目標を強制的に提出させられ、すべて管理職が検閲するとなると、話は別になる。
心に闇を抱えて登校不能になっている生徒、複雑な家庭状況に悩んでいる生徒、こうした生徒の問題と真剣に取り組むことはほとんど何の評価にもつながらない。国家・文部科学省・教育委員会は神であり、いつか俺も、などと考えている者には働きやすい場所なのだろうが、真に勉強し、ものを考えようとする教員はどんどん居場所がなくなっていく。無意味な書類作成ばかりが仕事の時間を取り、自分の勉強もままならない。現在、私の職場の英語科教員10名のうち、2人が長期療養中である。
教員の仕事の原点は、自分が学んだ結果、自分の体内に生きている伝えたいものを生徒に伝えていくことだと思うのだが、これと同じ性質を持つものがある。歌である。自作の歌を歌う者は、きっと伝えたい経験や思いが自分の中にあり、それを歌に託して表現している。それに共鳴したとき、私たちは歌の底知れぬ力を知る。こんなことを考えながら、私は久しぶりに歌を作り始めた。
ある方に誘っていただき、10年振りに人前で歌ってから、人生が楽しくて仕方がない。家族の顔色をうかがいながら、マーチンのギターも購入した。現在流行っている歌はほとんど知らないが、ここに集うみなさんの歌は是非聴かせて頂ければと思う。いつかPATATAにお邪魔できればと思っている。最後だけ丁寧な言い方なのも変ですが、とうぞよろしくお願いいたします。
PS
以前勤めていた学校で芸術鑑賞会の担当になったとき。通例は、売り込みに来るどこかのクラシック楽団やブラスバンドから選ぶのだが、自分の立場を利用して私が呼んだのは岡林信康だった。
コンサートの前の会話
校長 「岡林さんの歌、よく聴いていましたよ」
岡林 「おかしいな、私の歌を聴いていたら校長にはなれないはずだが」
和楽器の解説もあり、とてもいいコンサートだった。
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