2005年12月13日
<エッセイ一覧へ>

「叔父のくれたギター」
 
(ジョニー/45歳/神奈川)



昭和45年のある日、私は母につれられて横浜のYAMAHAへ出かけた。ギターを買うためである。それまではオルガンを習っていたのだが、引っ越しをしたためにそれまで通っていた教室へ行けなくなり、近所にはピアノを教えるところはあってもオルガン教室がなかった。そんな折、母が「ギターでもやってみるかい?」と言い出したのだ。

何となく面白そうに思って、やってみたいと答えたため、横浜くんだりまで出かけることになった。が、結局その日ギターを買うことは出来なかった。多分そこに並んでいた楽器は母が思っていたよりも高価だったのだ。今思えばFG140、180といったあたりの型番だろうから1万4000円以上していたのだろう。昭和45年の1万4000円はかなりの金額なはずである。それまで稽古に使っていたオルガンだって、中古でもっとずっと安く手に入れたものだったと思う。何しろ「エレクトーン」とかではない、電気オルガンだ。足踏みの代わりにモーターで空気を送って「ブーブー」音を出すハーモニカの親分みたいなやつだった。

そのままだったら今頃までギターを弾いていたりすることもなかったのだろうが、ちょうどそこへ叔父が「もう弾かなくなったから」と、ギターを持ってきてくれた。TEISCOというメーカーのフルアコボディのエレキだった。さびた弦はしかし、初めて聞く「ポーン」という音を奏でたのである。そしてここから全てが始まったのだ。まだまだ今よりギターを弾くものなど少なかった頃。影響を受けてか友人たちが次々にギターを手に入れ始める。当時の主流はモーリスだった。S&G、カーペンターズ、・・・かぐや姫、拓郎、陽水・・・どうゆう訳かYES、Allman Brs・・・聞くものも弾くものもジャンルもめちゃくちゃ・・・その時その時の好きなもの、気に入ったものを弾いて過ごした青春時代がただ懐かしい。

その仲間たちも大学生になり社会人になり、町を離れてゆくものも多く、散り散りになってしまった。

叔父の形見になってしまったTEISCOは今も壁にかかっている。このギターのあとに何本ものギターを手に入れては手放しを繰り返したが、このギターだけは手放さなかった。傷だらけでだいぶみすぼらしいが、今でもちゃんと弾ける状態だ。そしてこの歳になって、やっと手に入れることが出来たMartinとこのTEISCOとの間にある歳月を思う。随分と遠回りをしたのだなと思う今日この頃なのである。


 
エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→