2006年2月28日
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「初めて手にしたギター」
 
(Mitsu/54歳/東京)



私が初めて手に入れたギターは、エレキギターなんですよ・・・あれは中学3年の時、当時は空前のエレキブームでベンチャーズが全盛の時代でした。テレビでも「勝抜きエレキ合戦」なる番組が放送され、出演するバンド(当時はエレキバンドと言ってましたね!!)が演奏する曲は「ダイアモンド・ヘッド」とか「パイプ・ライン」etcほとんどがベンチャーズのコピーでした。また1966年6月にビートルズが来日してさらに拍車がかかったのだと思います。

話しを戻して・・・最初手に入れたエレキギターは質屋で、確か4000円だったと思います?当時の中学生の買い物としては高額でしたね(笑)。ただエレキギターを買ったのは良かったんですけど、アンプまでは買えず。ラジオにつないだりテレビにつないだり、でも結局音は出ずに終わってしまいました。ところが友人に電気関係が好きなのが居て、ギターアンプを作ってもらったんですよ、アンプ部とスピーカーボックスが別で、スピーカーボックスのスピーカーはラジオの物で、ボックスはなんと牛乳ビンが三十本くらい入る箱で(当時は箱が木で出来ていました)作ったんです。でもあまり調子が良くなくって時々感電しました。今思えば懐かしい話です。

このエレキブームをさらに爆発的なブームにしたのが「エレキの若大将」で勿論主演は加山雄三です!!実生活と映画の役と家の商売(映画ではすき焼き店の老舗で実生活は映画俳優の息子)が違うだけで、ほとんど同じ、スポーツは万能・・・音楽をやらせれば自分で歌は創るし自ら楽器までこなしてしまう!最高に格好良かったですね!!私だけではなく当時の若者にかなりの影響を与えたと思います。自分で創った曲を自分で演奏する・・・加山雄三は日本のシンガーソングライターの原点でしょうね!?その後GSブームの到来で私も高校に入って友達とバンドを組みました。でもバンドでドラムが居なくて私はドラムを担当していたんですよ。学校では禁じられていたビヤガーデンに1回だけでしたが出演しました・・・その当時はエレキ持っていると不良だとか言われてましたからね(笑)

その後「帰ってきた酔っぱらい」がヒットしたりアングラブームとかヒッピーとか流行ったりして、結構多様な時代だったと思います。ようは今の若者文化の原点みたいな時代でしたよね!?その後端田宣彦とシューベルツの「風」が大ヒットして、私ももう「エレキの時代ではない・・・フォークの時代だ(勝手な思いこみ?)」と思い高校3年の夏休みアルバイトをして念願のフォークギターを手に入れました。値段は12000円が10800円のモーリスのフォークGで当時はボディの大きな物(トレッドノートタイプ)はウェスタンGでボーディサイズの小さな物をフォークGって言っていた記憶があります(違っていたらゴメンナサイ)。

そのギターで一生懸命「風」をコピーしましたよ(笑)それからと言うものはフォークにどっぷりと浸かってしまい、岡林信康には結構はまりました。LPも3枚くらい持っていましたし、中でも「お父帰れや」と「今日をこえて」「チューリップのアップリケ」が好きでしたね。但し、LPは何処かにいってしまいましたし、それ以降全然弾いていないので忘れてますね・・・先日もちょっとやってみようとひきだしたんですけど全然ダメでした(笑)確か事務局の山下さんは岡林が得意だと聞いています。

ここまでが私のギターとの出会いとフォークソングを始めたきっかけみたいなものをざっとですが書いてみました。まとまりのない文章で読みにくいしわかりにくいと思います。

この続きはまた機会がありましたら書いてみたいと思います。何分気まぐれな性格ですから何時その気になるかわかりませんけど(笑)


 
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