2006年9月14日
<エッセイ一覧へ>

D-35を守りぬいたブルーケース
 
(松永秀毅/1954年生/千葉)



 1974年の在学中、泣け無しの貯金と親からの借金で手に入れたD-35が今日まで健在なのは、ブルーケースのおかげであった。当時、授業に出席するよりもサークル(アメリカ民謡研究会)での練習時間が圧倒的に長かった私は、卒業後はさすがに仕事に忙殺され、練習時間は極めて少なくなったものの、ギターは肌身離さず状態であった。

 それは、これまで数え切れない海外出張時でも、国内移動でも邪魔にならなければ必ず持参した。ギターケースなどは、とかく押入れに眠らされるのが関の山。しかし移動手段としては必需品。どこででも弾けるのもこれがあってのこと。このようなことにも気付かず、消耗品であるケースはその度に傷んでいった。そのため、ケースの蝶つがいや上下のかみ合わせの調整に、何度も修理に出すことを余儀なくされる。そしてついに、これまで長年私の旅行に付き添い、中のギターを保護し続けてくれたこのケースが、約7年前にその天寿を全うした。

 いつも手元にギターを置きたいというわがままを叶えてくれ、心底愛着のあったブルーケース。巷ではこのブルーがもてはやされているらしい。何とか同じ物をと、オークションサイドで何回となく落札しようとも考えたが、断念。見かけは同じでも、このケースへの想いに変えられることはできない。

 忙しい中でも、ギターを弾くことへの喚起を促してくれたこの懐かしのブルーケースに感謝しつつ、これからは、その中で守られてきたD-35が使命を果たす時。幸いにもこのギター、幾多の旅先の音に触れたせいか、D-35らしくない迫力ある音量に、繊細な響きで伸びやかなサステインを表現し、種々のジャンルの音楽に適応した姿に成長している。



エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→