2007年1月28日
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「ギター浦島、だったか」
 
(オイオイ/1959年生/埼玉)

 「ギターは常に自分の身近に在った」、というのは感覚だけで、あらためて想い起こせば、学生時以降になると、数年間ケースのフタすら開けなかった、という時期が実は何回もある。 仕事、人付き合い、結婚、育児、住居、新たな趣味・・・・要因を挙げればまずそんなところだろう。

 ただし「弾きたい」、「弾かねば」という思いだけは持ち続けてきたので、手離れ感が薄いのはそのせいかもしれない。

 この7、8年の間でも、自身の社会でのスタンスが数度変化したせいで時間を獲られていたからだと思うが、またしても、あんまり、どころかほとんど弾かなかった期間がある(余談だが、その間よく目にしていたストリート演奏などは「自分とは全く無縁の存在」という認識だった)。

 昨年、いきなりだったが住まいの近くに立ち上がった小さなフォークソングを愛好するサークルに加入した。理由としては、置かれた環境でギターを弾くように自身を仕向けた、ということに因る。

 そしてそこのメンバーさんからハナシを聞いたりしてわかってきたのだが、ギターを取り巻く情勢が、自分がずっとそう思っていたことと今とが、かなり変化してしまっていたり、知らないことがブーム化していたり、以前と認識を改めなくてはならないことがとても多かった。

 実にそれ等を列挙することで(良い悪いの評価をするのではなく)、自身をコンテンポラリーな環境にフィットさせることへの手助けにもなるとも思い、以下、感じたことを書かせていただくことにした。

 ・いつのまにか多くがマーチンクラスの高価なギターを手にしている。
 ・手工製作メーカーも増え、さらに高付加価値化したギターが出現。
 ・メーカー・機種・素材・パーツ・リペア等の話題が巷化している。
 ・誰でも演奏可能なフォーク酒場タイプ等の店が相当増えてきた。
 ・70年代日本フォーク系フォロアーたちの醸成する圧倒的パワー。
 ・人前で素人がカバー曲を演奏しても普通に受け容れられている。
 ・ギター上では邦楽、洋楽、ジャンル等による双方同志の壁が薄い。
 ・知らぬ間に数多く出現していた和製アコースティックギタリスト。
 ・インストものを流暢に弾きこなすアマチュアプレイヤーの増加。
 ・大道芸がごとく開発、演奏されている新たなギター奏法。  etc.
                                   
 順不同の列挙で申し訳ないが、昨年の時点では上記したような内容が、自分にはとても身近には感じられないことだった。

 つい最近でもそうだったが、日本のアコースティック・ギタリストと云えば、大御所の石川鷹彦氏と、実際には数曲しか知らない中川イサト氏くらいで、知人に押尾コータロー氏の名を聞くものの、今だプレイぶりも知らないままだ。周囲のアマチュアの方もどういう曲を歌い、どんなレベルの演奏されるのか、正直まだよく掴めていない。

 そういう中、自分がどう把握し、再度関わっていくかが、今年のテーマとなっている。



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