2007年2月6日
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「唄える喜び」
 
(くま村長/1964年生/広島)

広島県呉市に「呉フォーク村」という音楽サークルを立ち上げ1年が経過した。
とにかく自由にギター弾いて歌える場所が作りたくて、共に歌える仲間が欲しくて、そして、音楽を通じて人と人とのつながりが広がり地域活性化につながるサークルを夢描き、とにかく動き出した。
同じ思いを持つ「ひげ助役」(広島県の応援団メンバー)とわたくし「くま村長」との二人での船出。

口コミ、ホームページでの発信、新聞記事掲載などで、すこしずつ知名度もアップし、結成1年で40名程度のメンバーまでに成長した。
活動内容も多種多様になり、地域行事や福祉施設での余興、自主ライブ、合同練習会、路上ライブ等々、歌える場所・チャンスがあれば、どこでも唄わせてもらっている。

ただ、メンバーが増えてくると、余計な気を使ってしまい、みんなに楽しんでもらおうと段取りしているつもりが、いつのまにか自分のスタイルにはめてしまおうとする未熟な村長である。そして、楽しむことをすっかり忘れてしまっている自分に気づき、苦笑い。

その葛藤を繰り返し「呉フォーク村」とともに、成長させてもらっています。
音楽に対する思い、活動スタイル、夢、生き方など、どれひとつ取っても、人それぞれ違うはず。それらを全て受け止めて、理解して、そして流されぬよう舵とって行こう。
いろんな思い、さまざまな音楽がうまくコラボレーションして、笑顔あふれた活気ある「呉フォーク村」にしていきたい。

中学1年の時にギターを始めて30年。
大なり小なり、いつもギター弾いてきた。
そしてもうひとつ自分の人生で欠かせないもの。それは、野球。
小学、中学、高校、大学、社会人と、いつも白球を追いかけていた。
さすがにこの年になると、体が思うようにならず、もう引退して7年。
その関係でか、野球選手の言動が気になる。
特に今シーズンは、3人の人生の岐路でのコメントに、心を打たれた。

(広島 黒田投手がFA権を行使しなかった時のコメント)
「カープとカープファンを相手に投げる自分の姿は想像できなかった」

(巨人 工藤投手がFAの人的補償で横浜への移籍が決まった時のコメント)
「『また野球ができる。マウンドに立てる』という喜びを、ひとしお大きく感じています」

(北京オリンピック野球日本代表監督に星野仙一が就任した時のコメント)
「今、自分があるのは野球のお陰だと思う。野球に恩返しするチャンスを頂いたと感じている」

スーパースターのコメントは重みがあるね。
影の苦労が見えた気がするから。
もっともっと優しく強くなりたい。

そして今想うこと。
ギター弾けることに感謝!
唄えることに感謝!
そして、生きていることに感謝!



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