2007年6月10日
<エッセイ一覧へ>

「なぜか親子でやれてます」
 
(ムジカ/1951年生/愛知)


当り前のようで、意外に当り前でない、夢のような?親子ユニットです。

親が音楽や楽器好きなら、当然のように、その子どもも知らず知らず影響を受け、音楽が好きというのは、よく聞く話ですが…。とはいっても、やはり一世代違うわけですから、好む音楽や、生活の中での音楽の位置づけが違ったりして、なかなか一緒には出来ないのが普通なのでしょうね。珍しがる方は多いのです。また、若い頃に始めたフォークなどを、30年以上に亘り職業ではなく演奏活動を継続している親も珍しいといえば珍しいのですが。

振り返れば親子ユニットは我が家の場合は幸いにも長男(23歳)が、高校1年生のとき、自主的に学校を辞めてしまったのがきっかけでした。学校を辞めたあとは、近年よく耳にする“引きこもり生活”に入りました。一応親なので、将来のことも、ちらつかせながら、学校に戻ることを勧めましたが、彼は学校を辞めた開放感や、これからの漠然とした不安などから、自分のことで精一杯。親の説教くさい話など耳に入るわけがありません。そのうち、話しかけることさえ煙たがるようになりました。そこで、唯一、コミュニケーションの媒体になったのは、振り返ってみればビートルズやギターでした。

長男は6年生のときに、我が家には赤ん坊の頃から当り前のようにあったギターをみようみまねで弾き始めました。ただ、私は前述の話のように、どうせ好む音楽も仲間も違ってくるわけだし、やがて一緒に演奏活動をするなど、ありえないと思っていたので、最初にコードを数個教えただけで、あとは積極的に教えるということは殆んどありませんでした。しかし、長男はそれを不憫とは思わずに、我流で弾き続けていました。また、学校の級友達が真似ていた、流行りものの音楽には目もくれず、生のギターを軸にした音楽を敬愛しました。親が持っていた吉田拓郎やナターシャセブンのレコードを聴くことにはじまり、やがてビートルズをコピーし始め、中学3年の頃には親には嬉しいベンチャーズも、何曲か弾けるようになっていました(もちろん、いいとこ取りで)。

ギター人生の大きなの転機は中学3年生の夏休みです。自転車旅行で行った北海道、稚内の防波堤ドーム。そこには夏になると色々なスタイルの旅行者が集い、毎夜毎夜、宴会になるわけですが、そこで大学生のお兄さんが持参していたギターで弾いてくれたクラプトンのティアーズ・イン・ヘブン等々の美しいコード進行やブルースの官能的なギター奏法にカルチャーショックを受けてしまいます。

以来、息子はクラプトンを神と崇め、アルバム、アン・プラグドの鬼と化してしまいます。また中学のときから田舎の妻の在所に下宿生活していたのをいいことに、受検勉強はそっちのけになり、クラプトンと寝起きをすることになるのです。やっとの思いで入った高校も、少々荒れていたこともあって1年で辞めてしまい、その後、2年半に及ぶ引きこもり生活に入ります。幸い、気持ちまで大きく荒れていくことはなかったので、そっとしておきました。そして、時期を見計らい、自信をなくした息子の社会復帰のきっかけに選んだのが、演奏に参加させることでした。

また、引きこもり生活を満喫した息子は知らない間に人間的にも一皮剥けて、本来あまり得意ではないフォークやシャンソンのサポートを、嫌がることなく引き受けてくれるようになっていました。私はフォークやシャンソンを得意としていたので、ビートルズやクラプトンを生で演奏するのは少し無理をしなければならなかったのですが、意図的にレパートリーの中に息子の得意とするものを取り入れるようにしました。まっ、お互い多少の歩みよりがあったから実現できたということでしょうか。

そして、そればかりか引きこもり生活を通じて、気の済むまでしっかりとギターに向き合った息子はクラプトンのコピー初期の頃は、フィンガーピッキングのラインをただ、トレースしていただけなのに、19歳になる頃には私の部屋から持ち出したマーチンのギターをしっかりと指の腹で?まえて鳴らし、ブルースの官能的な調べをほぼ、再現できるようになっていました。

現在は曲に応じてベースも担当するようになり、なくてはならない演奏パートナーです。 また、やはり親子は感受性が似ているせいか、音楽的なコミュニケーションは、とても楽です。しかし、最近はフォークソングの伴奏から始まった親父の中途半端なギターがいつまで経ってもブルースらしくならないことに気付き、時々冷ややかな視線で見ているのです。



エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→