2007年6月8日
<エッセイ一覧へ>

「ギターそしてフォークと出会った頃」
 
(やま/1959年生/愛知)


記憶が曖昧であるが、ギターとの出会い、フォークとの出会い・・・。この際しっかり記憶をたどって書くことにしよう。

私は、生まれも育ちも、神奈川県横須賀市ですが、今は仕事の関係で愛知県へ単身赴任中です。そうです、気楽な一人暮らしのせいでギターの練習には事欠きませんが、一向に上達しません。ギターに触れている時間は溢れています。さて本題に入ります。

ギターにはじめて触れたのは(弾いてはいません)小学校5年生位かな、近所に住む従兄が持っていたクラシック・ギターだ。でも、そのときは特に興味はもっていない。ギターに興味を持つのは、小学校卒業を間じか控えた友達の家で、その兄が持っていた「吉田拓郎」のレコードを聞いてからである。

それまでは、正当な?歌謡曲しか知らなかった、というか音楽に対しさほど興味がない子供だった。野球と柔道を小さい頃からやっていて「男は体力」的なところがあった(勉強が出来なかったこともあるが)。音楽は女の子の趣味?と、いささか偏見を持っていたような気がする。わりと硬派だったかも・・・。

その初めて聞いた「たくろう」(当時はひらがな)については、こんなの歌にして、ましてレコードになっていていいのか?という思いがした。たぶん「オンステージ」のLPだったか、その記憶は定かではない。それまでの知っている歌の歌詞はフィクションであり、空想の世界の物語を歌にしたような感じ方をしていたが、「たくろう」のそれは、自分の身の回りを歌にしているように聞こえたからである。曲にしても、何か違うと感じたのでしょう、そして一気に興味をもった。

その何か違う音楽は、フォーク・ソングと言われるものとわかるまでは、それほど時間は要しなかった。それまで、フォーク・ソングという言葉を知っていたかは不明だが、そのような唄はレコード以外で聞く方法(レコード買うお金がなく)をラジオと知り、家にあった古いラジオにかじりつき、暇さえあれば聞くようになった。特に深夜放送でフォークをよく聞くことができることを知った頃は楽しかった、1972、3年頃かな。ちなみに初めて買ったLPは吉田拓郎の「元気です」だったように記憶する。
拓郎の他にも井上陽水、加川良、古井戸、泉谷しげる・・・など、色々なシンガーを聞きまくっていた。そういえば従兄がよく歌っていたのは「今日の〜仕事はつらかった〜あとは〜焼酎を・・・」後々判明したが、岡林信康の「山谷ブルース」だった。

フォークに興味を持てば次にくるのは、そう、皆様もたどった道でしょうが、ギターを弾きながら、唄ってみたいという欲望・・・。そこで登場するのが先ほどの従兄のギターである。
従兄が居ても居なくても(特に居ないときに)部屋へ行き借用していましたが、さて、どうやって弾けば良いのやらさっぱりわからず、部屋にあった教則本も拝借した。ど、れ、み、ふぁ・・・とせっせと練習していましたが、なんか違うな、こうやって唄っていないな、激しく弾いているように聞こえると思っていたら、コードがあるということをどこかで?知った。そう!これだ。でも、音がでない・・・指が届かないではないか、などと悪戦苦闘の日々が数ヶ月続き、何とか音が出るようになった時は嬉しかった。

その後は皆さんも経験あると思いますが、自分の「フォークギター」を手にすることになり、学生時代はグループを組んで文化祭などで演奏もした。結婚して子供が生まれ、ギターの中断もあり、紆余曲折し再始動があり現在に至っております。私の場合は40歳を過ぎた頃から再始動となりました。でも、ギターに出会った頃は本当に純粋に楽しかった・・・。始めた動機は不純な部分もありますがね。腕前もさほど進歩していませんが、今も当時と同じくらい、きっと当時以上に楽しいギター生活を過ごしている私はきっと幸せ者ですね。きっと皆さんもそうでしょう。

戦うオヤジの応援団の皆様、今後ともよろしくお願いします。そして、ともにがんばりましょう。

数ヶ月前、高校1年の三男(当時中学3年)が新しいギターを欲しいといった(それまでは兄のお下がり?)。何故か喜んでしまい入学祝にとついつい買い与えてしまう・・・。他のものは我慢させるのだが、ギターは買ってあげてしまう、戦わなかった?オヤジです。



エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→