2008年1月30日
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「インストへのこだわり」
 
(まろ/年齢不詳/奈良)


私はインストしか弾かない。少なくとも歌は歌わない。

理由は自分の声では音程が外れるからで、
"恥ずかしい"とかではなく、のってこないから。
手っ取り早く言えば「下手」だから。

でもギターをおぼえたのは大学の「歌声サークル」で、
当時は歌いまくっていたのが信じられない。
それがいつしかインスト専門に。

きっかけは先輩が弾くインストがメチャかっこ良く、
憧れたっていう、若者にありがちなパターン。
(もちろん不純な動機もないわけがない)
なにせ大学時代では新入生にとって4年生なんかは
まさに「神様」。その神様に食らい付いてなんとか
インストのイロハを教えてもらったのが、そもそもの始まり。

そんなギターだから先輩と別れ別れになってからは
時計が止まった。ここ何十年も先輩は神様のままだった。

その間、ギターインストは私にとっては、ひとつの
ステータスシンボルであったのかもしれない。

高級車、高級装飾品などなどには、私はまるで興味がない。
私の価値観は、オリジナリティーの高いもの、努力しないと手に入らないもの、
こういうものに価値を認める傾向がある。
だから「お金さえあればだれでも買えるもの」は、
一般人との差別化という意味でのステータスシンボルとしては
無意味であった。

そういった意味からするとギターインストは努力しないと
身に付かない技術として、かっこうのステータスシンボルとなった。
「これが弾けるヤツはメチャ少ないハズ」
口に出して人に自慢することはなかったけれど
心の内ではそう思って、先輩から教わった少ないレパートリーを
忘れない程度の練習(年間で延べ半日程度)だけはしていた。

ところがひょんなことから止まっていた時計が最近になって
急に動きだした。とたんに自分が「井の中の蛙」であったことが
ありありとわかった。うまいヤツなんざメチャメチャいるし、
みんな楽しそうに弾いている。
先輩が「神様」の座から引きずり降ろされた。

それに引き替え自分ときたら人前で弾くとなったら
緊張で手が強ばって動かなくなる。
そこそこに人生経験積んで社長クラスのお偉いさん程度なら、
全くあがらず対等ににしゃべれるのに、なんとしたことか情けない。
 
レパートリーを増やそうとすればこれもまたたいへん。
インストの場合、手は意識しないでも勝手に動いてくれるまで
練習しないと弾けない。だから押さえるポジションは最初は
憶えるけれど手が勝手に動き出せば忘れてしまう。

こうなるまでは何回も弾かなければできないし、それだけ弾けば
どんな好きな曲でも飽きてくる。飽きてきた曲を根性だけで
練習するのは楽しくともなんともない、拷問だ。

せっかく手が勝手に動く魔法がかかっても、
人前に出たとたんどうしても「失敗しないで弾かないと・・・」
という意識が抑えても抑えても出てきてしまう。
「次はどこ押さえるんだっけ?」なんてチョッとでも考えたら
魔法は効力を失い、頭は押さえるポジションなんか
とうの昔に忘れているので万事休す。

だから人前で弾くときは魔法が消えないように願いながら
緊張で強ばった手で戦々恐々として弾いている。
途中まで弾ければ、早く曲が終わるのを願う始末。
楽しいハズがない。

そんな楽しくないインストになぜこだわるのだろう?

それはメチャメチャうまい人が人前で楽しそうに弾いている
姿を見てしまったから。
中腹が霧で見えない山の山頂がチラリと見えた感じ。
なにか無性にこの山に登ってみたくなった。

音楽やるのに理屈はいらない、「好き」だから「好きなように」
みなさん屈託がない。 これが本来の姿だろうし
紆余曲折しても最終的にはここにたどり着くのだろう。

それがわかっていたとしても、私はインストにこだわってみたい。





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