2008年3月3日
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「歌い続けていくよ」
 
(ハイサイ屋良/1949年生/神奈川)


1969年か1970年、青山に“クレヨン”という、今で言うライブカフェがありました。そこで高田渡さん、遠藤ケンジさん、南正人さんたちが出演するコンサートがあり、初めて生のフォークミュージックを目の前で体験しました。
その時のライブで受けたショック(??) がきっかけで私も弾き語りのまねごとを始めるようになりました。(高田さんはまだ定時制の高校生で学生服のまま“自衛隊に入ろう”その他数曲を歌っていました。)
私と同じ沖縄の血が流れる山之口獏さんの詩を取り上げていてうれしくいつも憧れのまなざしで敬愛していました。
当時、“アゴラの会“というフォーク集団を先導していたS先輩と親交があったことであちこちのイベントについて回っては少しずつ彼らの音楽に触れていきました。

70年.ギター(モーリスの12弦ギター)を抱えてシベリア経由でヨーロッパへと旅立ちました。
ストリートミュージシャンなどという言葉の存在も知りませんでしたが北欧ストックホルムの街頭で演奏する投げ銭目当てのミュージシャンがたくさんいてひょっとして自分にも・・ 
腕前ではとても太刀打ち出来ませんでしたが東洋人が歌う日本語の楽曲が珍しかったのか熱心に聴いてくれる人もいました。モーリスのギターはその後ヨーロッパ大陸をヒッチハイクでまわる間、ずっと一緒。
その後約1年放浪後、イスラエルの共産制集団農場キブツで働いたときに同室だったイギリス人に譲りました。

Beach Boys, Beatles, Bob Dylan, The Bandと奇しくもBで始まるミュージシャンに大きな影響を受け、レコード・ミュージックテープ・CDとそのメディアは変遷を重ねていますが彼らの音楽に、今もって聴くほうもプレイするほうもどっぷり浸かっています。

高田渡さんたちの歌に触れて以来、早や40年の月日が経ち、John Lennonが “In my Life”で歌ったように まさに“Some are dead and some are living” 冒頭に述べたS先輩も51歳の若さでこの世を去り、荒々しい時代を共に生きた者として、志を継ぐというほどのことも出来ないけれど“歌い続けていくよ”と折に触れ語りかけています。






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