2008年6月4日
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「30年目の手紙」
 
(mattari/1950年生/埼玉)

<往信>

 ご無沙汰しています。覚えていらっしゃいますか?

 進君が長野で暮らし始めて30余年が経つのですね。私もいつの間にかあと3年で定年退職を迎える年齢となりました。退職後は沖縄の石垣島で「フォーク居酒屋」を開業するつもりでおります。

 先日、車を運転しているとFMから斉藤哲夫の「さんま焼けたか」が流れてきました。その瞬間、30年前にこの曲を歌っていた君の姿が目に浮かびました。

 そういえばあの頃、君がヤイリのYD−28というマーティンのコピーモデルを買うというので、お茶の水の楽器店をはしごしたことがありました。懐かしい思い出です。今もギターを弾いていますか?

 進君が長野で仕事をしていることは、詩人の浅川真知さんに聞きました。そこでインターネットで地名と教えられた施設名と君の名前を入れると見事にヒットしました。福祉施設の代表者とは、やはり楽なだけではない人生を選ばれたのですね。そのことを嬉しく、誇りに思います。

 こちらも残り2年半となると、本土での生活の整理や後始末に取りかからねばなりません。物は放り出せば済みますが、迷惑をかけ、お世話になったままご無沙汰をしている人々はそうはいきません。なかでも進君は、懐かしさや思い出だけでなくお会いしたいお一人です。お忙しいとは思いますが、都合がつくようでしたらお知らせ下さい。お伺いしたいと思っています。

 突然の便りで当惑なさらなければよいのですが・・・。

 では、お元気で。お仕事、大切になさってください。


<返信>

 お手紙ありがとうございます。

 封筒を見た時は、学生さんの実習かボランティアの希望かと思いながら封を開けさせて貰い、読んでみてびっくりの嬉しい手紙でした。もう、と云ってもあと3年のようですが、定年を迎える歳になったとは、月日の経つのは早いものですね。そして、石垣島の「フォーク居酒屋」構想は羨ましい限りです。

 我が家は息子二人です。現在二人とも大学に通っているので、夫婦共働きで身も心も金縛り状態ですが、順調にいってくれれば3年後には無罪放免になりますので、石垣島は夢と希望に満ちあふれた、嬉しい報せです。

 私はと云えば、長野の大学を卒業してから静岡の知的障害者施設で毎日毎日農作業をして8年、その後学生時代にボランティアしていた今の施設に拾われて、それからの信州での生活が20年になりました。来月には54歳になり、髪の毛は浅間山の雪にも負けないくらい真っ白です。

 私の職場は、知的障害を持つ1歳から6歳まで子供たちが毎日通ってくる施設です。口の悪い仲間からいつつぶれるかわからないと云われながら何とかやっています。そんな風ですから、私の仕事は子供達の育ちのための仕事より、大工仕事に塗装や内装業、さらには運転手と、様々な職種を兼務している毎日です。

 たまにはギターを弾くのですが、聞いてくれるのは園の子供たちですので、もちろん加川良や斉藤哲夫や高田渡の曲ではありません。でも、毎年の卒園式には職員で素人バンドを組んで賑やかしをしています。いつしかギターもヤイリからマーチン変わりましたが、音はヤイリの方が良かったみたいです。しかし残念なことにヤイリは学生時代の仲間のところに行ってしまいました。

 さて、石垣島も良いでしょうが、信州はどうですか?時間があればぜひ遊びに来てください。冬は温泉(自宅から歩いて5分)の帰り道で、濡れた髪の毛がバリバリに凍ります。南の島では感じられない季節感でしょう。

 本当に嬉しい手紙をいただきありがとうございました。お会いできる日を、心から楽しみにしています。


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