2008年7月11日
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「私とギターとの出会いそして今から」
 
(川越のマァさん/1959年生/埼玉)


私とギターとの出会いのきっかけは、フォークソングブーム全盛期の昭和46年〜47年ラジオでオンエアしていた、かの有名な大ヒット曲「赤とんぼ」でした。「なんでやねん!」

当時、長野県の岡谷市に住んでおりました。それより前からギターには興味があって、鈴木楽器のガットギターを所有しており、かろうじて「禁じられた遊び」が弾ける程度までにはなっておりました。

それが「赤とんぼ」によりフォークソングというものがやりたくなり、ガットギターに鋼鉄弦を張って“あのねのね”のコード譜とにらめっこしてコピーする毎日が続きました。そういえば土曜の晩はオールナイトニッポンを4時間“あのねのね”の時間を堪能してましたなあ!

コピーがうまくできるようになると、やはり人前で発表したくなるのが(ここの(オヤジ)たちも同様だとは思いますが)人情なんですね。友人とともに学校の行事の余り時間等で、“あのねのね”を披露してました。

そうこうしていると、うちの本当の親父の仕事の都合で、中学3年の5月に山梨県の今は合併して中央市にとなった所に引っ越しました。
(笛吹川と釜無川が合流して富士川になる辺りです。)

その土地で陽水フリークの八木さんと出会い、その後は陽水コピーに明け暮れ、断絶とか氷の世界とか2色の独楽辺りまでやってました。そのころオリジナルを数曲作りましたが今思い出すと興ざめです。(>_<)

その頃、忘れもしない高1の学年オリエンテーションの時に、夕食後誰かがアコギで何か歌っていたので私も弾かせてもらいました。私のそれまでの集大成である、陽水の「紙飛行機」「こころ模様」「東へ西へ」などを弾いていると誰かの目線に気付きました。

それは、誰あろうここの会員「はた坊!!!」でありました。
その後、フォークソング同好会を立ち上げながら、ブラスバンド、軽音楽でパーカッションと二足のわらじで音楽に関わっておりました。はた坊とは同級生になったり違うクラスになったりしましたが、一生もんかもしれん!と感じておりました。

高校時代は拓郎フリークが居りまして、学園祭では同好会でステージに立ち、たくろうLIVE’73ほぼ全曲と、陽水、かぐや姫、風を演奏しましたな。卒業間近の休日にTVを見ていましたら、陽水LIVEが放送されていたのでもちろん見ていました。

その後に続いて“高中正義”スーパーLIVEなるものが放送され衝撃を覚えました。それ以来、会社のバンドに入ってYAMAHA SG−1000を購入し、高中、カシオペアに洗脳されていきます。シャカタクなんかもありましたな(このころはエレキギターの鬼でした)。会社バンドでは10年間“高中フリーク”になりきり、毎日せっせとひたすら練習の毎日でした。
結婚を機会にバンド活動も下火になりギター君との出会いが疎かになると言う現象に戸惑いましたが、それにもまもなく慣れてしまい、子供が生まれ、日々の生活に追われ、一昨年くらいまで平凡な毎日を送っていました。

すると「藪からスティック」に はた坊 から電話がありました。
「ギター弾かない?」 唐突でした。一瞬自分の予定表が頭の中を過ぎりましたが、「いいよ!」 二つ返事で返しました。一つだけ心配だったのは、「ギター弾いてねえなあ」 ギターから離れて二昔という月日が流れておりました。

そのころの私はアコギは高校生の時に購入したモーリスF−25しかなく、はた坊のLIVEにはSG−1000で参加することにしました。練習はしましたが、結果は今ひとつ。

その後、はた坊所有のギブソンハミングバードカスタムが「ギブソンなのに鳴らないね」 と私が言うと「じゃあ、その子を調教してよ」 って事になり、3〜4ヶ月が経ったある日、はた坊よりまたまたお誘いがあり、「すんごいギターフリーがたくさんいる集団があるけど参加してみる?」 とのこと。「いくいく!」 ってな「家来る?」的のりで参加したのが、ここの柏パタータの「戦うオヤジの応援団」でした。

山下団長の考え方や、皆さんの言葉に賛同しながら、10月の柏新星堂でのストリートライブに「マーちゃんズ」で参加させて頂きました。
久々のステージであがりましたが、パタータでやるより緊張は無かった気がします。これは、同じギター好きだと、少しのミスでも聞き逃さないような、勝手なこちら側の思い込みが有って、緊張感が違うんだなあと実感しました。

ひとりで練習してもうまくならないのは、そういうところも心の中にあるんではないか?と今更ながら気が付いたので、これからもできるだけ参加して、程よい緊張感の中でギターサウンドに包まれたいと思うようになりました。

昨今はひとり息子が高校受験で、塾に行っている間しかギターが弾けませんが、できる限り練習して腕を上げたいと、ひとり思う今日この頃であります。だから他のSPのみなさんも、がんばって定期演奏会に参加しましょう!

戦うオヤジの応援団がこれからもますます発展することを祈念いたしまして乾杯の音頭といたします。「それではタタオヤにカンパーイ!」




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