「私とギターの関係は・・・」
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(Yasubei/1958年生/岐阜) |
私も多くのメンバーの方々と同様でひょんな事から、つい2年前にギターと再会し、日夜近所迷惑な騒音を撒き散らしています。
思えば小学生の頃、ビートルズにモンキーズ、エレキの若大将にグループサウンズ全盛で、校内清掃の箒がギターでした。それほどギターというものが浸透した時代がありました。
そんな時代を引き摺ながらも、私にはギターを弾くという事は生涯無理であろうと思っていました。 なぜなら私は両手に障害を持って生まれた身だったから。
こんな私がギターに出会ったのは、父親が持っていたボロボロのガットギターを発見したときのこと。 折りしもフォークソング全盛の頃。 数々の唄が心を打ち、ギターが弾けたらどんなに楽しいだろうと思い、何とか弾けないものかと、自分に合うように色々と試行錯誤を繰り返しました。
しかし限界はすぐにやって来ました。 押さえられないコードのほうがはるかに多く、セーハは殆ど出来ません。 それでもギターを離さなかったのは、単純に「音」が好きだったから。
こうして、ボロボロのガットギターと共に日夜格闘をしていたものの、次第にフォークブームが去り、ギターに触れる回数が減り、ついにギターは悲しいかな行方不明に・・・
その後30年ほどのブランクがあり、ギターのことなど全く忘れていたある日、運命的な「K.ヤイリギター」との出会いがあり、ギター熱が再燃しました。
幸いにもヤイリギター工場が近いため、何度もお邪魔しては職人さんと話をして、ついに私にピッタリのギターが出来上がったのが2007年4月の事。 ネック合わせの際には職人さんにかなりの無理を言い、「ネックに充分な強度が得られる限界か」と言われるくらいまで削っていただきました。
こんな特殊なギターにもしっかりと対応していただいたK.ヤイリがあったからこそ、夜な夜な拙い音が出せるわけで、今は、中学時代に考え悩んだ思いが少しだけ解決したという心境です。
それでも弦は6本ありますので押さえられるコードは限られますが、難しいことはしないで、出来る範囲で楽しむということが出来るようになっただけでも私にとっては目の前が突然開けたようで、もう言葉には表せない程です。
最近はこのギターのお陰で、少し自信が付き、外に出ていろんな人に出会うようになり、人前で演奏することもあります。 皆さん最初はびっくりされますが(あまりにも押弦できずに音が出ないため)いろんな話をさせてもらい、仲間に入れていただき、弾けないギターを一生懸命全力で弾いています。
音を楽しむ事が音楽であるならば、私も壁にぶつかりながらギターの音を楽しんでおります。 そして今後もこのギターと共に音楽のある生活を送りたいと思います。
リレーエッセイに載せていただく内容ではなかったかと思いますが、私のような悩みをお持ちの方がおみえでしたら、参考にしていただければ幸いです。
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