2009年9月25日
<エッセイ一覧へ>

「弦の響き」
 
(まる やまもと/1958年生/愛知)


もの心ついたころ
ともかく、弦の響きが無性に好きだったのを覚えている
そのせいで、3歳からバイオリンを習ったのだが、親の話では相当にねだったらしい
それでも、習い事など、それも3歳では面白いわけがない!
バイオリンはものにはならなかった、当たり前だな
それでも、小学校低学年からクラシック、それも弦楽を聴きまくっていた
そのうち、ラジオを聴くようになって、
自分の好きな弦の響きはもしかしたらギターかも知れないと思いはじめた
そして、14歳の誕生日にギターを手にした
中学、高校でのギターの弾き方は、それこそ尋常じゃなかった
はじめは、指が痛くてしょうがなかったが
指に絆創膏を張ったり、氷で冷やしたりして弾いていた
寝るときベッドに持ち込むのは当たり前、トイレまでギターを弾きながらいっていた
あるとき、ウンチをギターにつけてしまったくらいである
とにかくがんがん弾いていた
そうだ、だから、今でもストロークの、それもローコードの
コードワークストロークが気持ちよくてしょうがないのだろう
そういえば歌も好きだ、特にハーモニーは心地よい
思えば、高校1年のときの音楽の先生がポイントだったかもしれない
この先生、声楽家を目指してとりあえず学校の教師をしながら勉強していた、という人だ
授業は、発声や和声の実践とコード理論ばかり
コーリュビュンゲンやコンコーネをずっと歌っていた
それでも、若い女の先生ということもあってか
放課後なんかも音楽室に行っていた
その時、流行の英語の歌を雰囲気だけでメロディを追って歌ったりしたら
歌詞の内容が分からないで歌っていては何のための歌なのか
といわれたことが今も心に残っている
この先生、突然、学校をやめてドイツへ行ってしまったが
今では有名な声楽家として活躍しておられる
それからのギター人生は
甘い思い出と苦い思い出
入り混じってはいても、所詮、若気の至り
それなりに過ぎてきた
そして、今、子供たちが楽器を弾いている
子供たちにとって父親は一応、尊敬するに値するギター弾きらしい
少なくとも、今、無邪気に熱中してギターを弾いている姿を
かっこ悪いとは思ってはいないようだ
好きなものを見つけて、身をゆだねて、幼子のように熱中する
そんな姿は、子供たちにどんな風に伝わっているのだろうか
今日も子供がギターのフレーズをたずねてきた
ノリノリでギター弾きながら、あーでもない、こーでもないと
いつの間にか
あのときの、ギター少年だった、自分が、そこにいる
弦の響きが、ハーモニーの響きが大好きだった自分が
もしかしたら
弦の響きは、人の響きなのかもしれない





エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→