2009年11月17日
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「戦う親父・・?の履歴」
 
(フジモト/1952年生/徳島)


 私が最初にギターに触れたのは高校生の時でした。私のおばあちゃんが岐阜県のギター工場(現在では日本トップメーカーです)にパートに行っていて、売り物にできないギターを安く買ってきてくれ、それを弾き始めたのがきっかけです。ゴルフに興味がいって、あまり熱心に弾いていなかった時期もありますが、気がついたら40年近くのキャリアということになります。その当時はフォークソングブームが始まったころでしたが、なぜか演歌の藤圭子(宇多田光のお母さん)に夢中になり、地元に来たコンサートは学生服を着て、かかさず聴きに行きました。「圭子の夢は夜開く」(三上寛ではない)なんて曲を練習して悦に入っておりました。

 高校の後半から大学生にかけフォークに目覚めて岡林信康、吉田拓郎、井上揚水等の曲を真似して弾くようになりました。第三回中津川フォークジャンボリーも聴きにいきましたが、最後はメインステージで集会が始まり、何がなんだかわからなくなりました。サブステージに移動したらで吉田拓郎が「人間なんて」をずっと歌っていたのでそちらにいました。友達とステージに近い所で騒いでいましたが、タクローが大声で歌い声が割れていたので、「人間なんて・・」と歌っていると判ったのはかなりたってからだったような気がします。

 現在は、仕事の関係で徳島に居て、昔のフォークソングを主として演奏する親父バンドに入り、親父目線の自作の曲も作って歌っています。徳島なので阿波踊りをテーマにした曲もあります。バンドメンバーに有名連の篠笛奏者がいるので笛と合わせて演奏すると踊り出すお客さんもいます。この曲がきっかけで、昨夏、地元のテレビに取り上げてもらいました。おかげでクラシック、ジャズ、ポップス、カントリー、フォークなどジャンルを問わず顔見知りが増えました。徳島では全ジャンルごちゃ混ぜのイベントもあったりして結構楽しめます。

 「戦う親父の応援団」はなんとなくゆるい繋がりを全国的にという感じで、とても共感できます。あまり世の中で戦って来なかった私には「戦う」と言う言葉は似合わないかもしれませんが・・。今の世の中大丈夫かな、人類の子孫はいつまで続くのだろうかなどと、自分ではどうしようもない難問を、日々気に懸け、歌にしたりしますので、戦う親父の心意気もないわけではありませんが、ビールと芋焼酎を飲むとすぐ難問のことは忘れて、うたた寝をし始めるので、家内に文句を言われている今日このごろです。

 エッセイをということで書き始めたのですがほとんど自分の生い立ちと近況報告のような文章になってしまいました。以後、宜しくお願いします。




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