2009年12月27日
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「再び始めて」
 
(セット/1953年生/長野)


中学生の頃は、兄の影響もあり学校のブラスバンド部でトロンボーン・コルネット等を吹いていた。家ではその兄とリコーダーなどの合奏をして楽しんでいたが、少年雑誌に載っていた「組み立てギター」の広告を見つけ、兄弟で購入を決意。家の暮らしは貧しく、親にも頼めないまま、兄が貯めたアルバイト料と私の貯金箱の僅かな小銭がそのために消えていった。
送られてきた木材を、冶具もない中、削り、位置を合わせ、張り合わせ、色を塗り、それを乾かせる等々。数ヶ月近くかけてようやく出来あがったのはかなり不格好なガットギター。結局それがギターへの入り口となった。高校生になるまではそれを愛用。弾いたのはクラシックの定番のみだった。
まともなギターを手にしたのは、高校に入ってからだが、最初に購入したのは安物の阿部ガット。音楽ジャンルと共にフォークと称するものに手を染め始めたのはその約一年後となる。手にしたのはYAMAHAのFG−110、あのFG−150の廉価版。
その後、地元のアマチュアフォーク団体に入ったこともあり、FG−230(12弦)、FG−580、ギターマンドリン、何故かオカリナ、ボンゴ、ドラムセット(共同購入)等々、自分の欲求のままに買い揃えた。

音楽を自分の分身とまで考えていたその頃、誘われるままに3人のグループの一員となり、カバー曲に多少のオリジナルを交えてやっていたが、自分の曲がヤマハのポプコンで優秀作曲賞を受賞してからは、意識しすぎたのか全く曲が書けなくなった。
その曲のレコード化の話しがチラチラと見え隠れする中、グループの仲間とは音楽への考え方の違いから決別。それが全ての理由ではないが、その後30年以上にわたり、ギターからも音楽からも、それを封印するように遠ざかっていた。
まだ未練があったのか、実家を離れる際にギター3本は持って出たが、ひょんなことでまた始めることになった今、それが良かったのか悪かったのか。結果として、その当時も今も、世の流れにただ竿を刺しているだけのように思えることに、やや落胆の念は隠し得ない。

再び始めて9ヶ月近く経つが、三十数年のブランクはかなり大きく、未だに指は動かず声は出ずと、その都度恥を晒しているのが現状である。そんな中で、何故あの頃あんなに夢中になってやっていたのか、何故封印していたものをこの歳になってまた始めたのか、何故恥を偲んでまでも再び続ける気になったのか、そんな思いが頭を駆け巡るようになってきた。
音楽、絵画、文章等々。世の風刺を含めて、心の中を、その想いを外に向けて吐き出す方法は数多くある。その選択は自由である。その時々に何を感じ、何を出していくのか。
70年代の再来なのか、昨今のブームらしい動きの中で、プロ・アマ問わず、今後シンガー達は何を目指しどこに向かうべきなのだろう。「アマチュアの音楽などはマスターベーションのようなもの。楽しければ良い。盛り上れば良い。」と言う人もいるが、それだけではあまりに寂しい。
今、己の人生も含め、世の全てを見渡した時、なんとなくだが見えてきたもの。知人から「へぇ、お前もまた始めたのか」「そんなゆとりの年齢かよ」と言われた時、「いや、せっぱ詰まって始めたんだ」と答えた私。五十代も後半、人生の逆算を始める年代となって、やっとその答えらしきものが見え始めたように思うこの頃。
今、その思いを確かめるかのように、ゆっくりだが、また歩き始めている。





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