2010年9月20日
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「今でも、ウクレレでフォークソング」
 
(ふく助/1958年生/埼玉)


 茹だるような暑さの続いた夏も終わり(終わったよね?)、急に涼しくなり何だか虫の音も聞こえてくる季節になった。もうすぐ中秋の名月ですよ、皆さん。
 山下さんから依頼があったので調べてみたら、「ウクレレでフォークソング」というタイトルでリレーエッセイを書いたのが、6年前の平成16年(2004年)6月29日、ちょうど46歳の誕生日だった。当時、ハンドルネームは「ふくすけ」としていたっけ(現在は「ふく助」)。あれからいろんなことがあったなぁ…。

17年 (2005年)
父が倒れたので、父の会社を解散した。この時代に倒産でなく解散できたのは良かった。父はその後、病院、老健、介護施設と転々として、ようやくグループホームに入所できたっけ。
18年 (2006年)
異動してきた上司と合わず、人間関係に苦労したなぁ…。
19年 (2007年)
上記が原因だったかわからないけど、年末大腸がんの手術をした。お蔭様でまだ生きている。
20年 (2008年)
父が倒れてから一人暮らしをしていた母だが、身辺があぶなくなってきたので、老人ホームに入ってもらった。
21年 (2009年)
10月に父が亡くなった。
22年 (2010年)
父の新盆と一周忌をした。

 ちょっと大変なこと、めげそうになったこと、色々あった。大変な時期はさすがに音楽をやりたいとすら思わなかったけど、少しでも余裕があるとまた音楽を始めたがっている自分がいた。
 音楽をやるのも大変だったけど、音楽があったから、頑張ってこられたんぢゃないかな。

 2000年にはじまった「おやぢフォーク」というグループは今でも健在で、今も月に2回は練習して、時々イベントで演奏させてもらっている。立ち上げた当時の中心的なメンバーも、単身赴任で仙台に行っちゃっているのがいるけど、皆んな元気だ。新しいメンバーも年に1〜2名、参加してコアメンバーは10名程いる。
 あれからギターも買い直した。D-28もGibsonのL-50もLARRIVEEも売ってしまい、Takamineは息子に持っていかれ、一時は1本もギターがなかったけど、今はD-18GEがあって、ギターを弾かなくちゃならない時は、そいつが相棒だ。
 音もルックスも気に入って買ったんだけど、Dサイズが大きく感じるようなってきている。五十肩のせいか。音ももう少し小さくておいいかな。
 次に買うとしたら、マホガニーのO-16のような小振りで控えめなギターがいいな。弦もコンパウンドを張ってみようかな。
 書いているそばからなんだが、自分にはウクレレの軽いストロークで日本のフォークソングを歌う、というスタイルが、一番合っているような気がする。おそらくKamakaは手放さないだろうねぇ。マホガニーのMartinのウクレレもいいだろうなぁ。
 歌も、さらっと歌うのは難しいんだよねぇ。
 今年はじめ、声帯にポリープができて、歌は控えているけど、いつかちゃんとした歌が歌えるようになりたいな。
 おやぢフォークのほかにも、「唄の駅」とか「大久保雑唱団」とか「セプテンバーコンサート」とか色々やっています。どこかでご一緒することがあったら、どうぞよろしくお願い致します。
 次にバトンが回ってくるのはおそらく5〜6年後位だと思うと山下さんは書いていたが、57歳とか58歳か…。停年目前だね。
 その頃もウクレレをポロンと弾いて、日本のフォークソングを歌っていたいなぁ。
 
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