2010年11月22日
<エッセイ一覧へ>

「音楽を通じて得たもの」
 
(虎太郎/1962年生/大阪)


私がギターを始めて手にしたのは、中学3年生の終わりに近づいた頃、叔父の持っていたクラッシックギターでした。
そのクラッシックギターにスティール絃を張り弾き始めたのが始まりです。
(とにかく弾きにくかった事・・・)
ギターを弾き始めた動機は、当然女の子にもてたいためでしたが、私の入学した高校は工業高校で一応共学だったのですが、私が在籍していた3年間は全校生徒の中に女子はゼロでした。
かくして、私の願い(下心)は虚しく散る事となったのですが、不思議なもので女子には縁のなかった私が不思議と野郎には人気があり、当時所属していた水泳部の顧問とユニットを組んで文化祭で演奏したり(野郎ばっかり1,000人)、同級生とユニットを組んで女子高の文化祭へ招かれたり(とにかく女臭かった)、また、別の同級生と組んで卒業記念コンサートを開いたり(自己満足)とそれなりに楽しく高校生活を送りました。

高校卒業と同時に就職したのですが、人前で弾き語りで唄う事の悦びを知ってしまった私はフォークサークルに加入して活動をしていました。

しかし弱冠20歳の時、当時はまだ珍しかった「出来ちゃった婚」で日々の仕事と子育てに追われ(妻曰く、「全然協力的でなかった」との事)音楽活動とも疎遠となり、たまに友人や親族の結婚式の余興にギター片手に唄うだけの音楽生活となっていました。

そんな状況を一変する事となったのが、5年前の会社の先輩との出会いでした。
その人は東京在住で大阪在住の私とは就職してから20年以上逢う機会が無かったのですが、たまたま一緒に飲む機会があり、その話の中で音楽の話になり「昔ギターをやってたのですよ」と話をしたら、「それじゃあ、俺のやってる企画に出演してよ」と誘われ、それ以降またギターと真剣に向き合うようになりました。

そして、その企画を通じて知り合えた東京や高知の仲間や、その先輩と同じ所属の労働組合の企画で「昔採った杵柄音楽会」と銘打って年一回開催して新たに東京・浜松・名古屋・大阪の仲間が出来ました。

その東京の仲間の一人からもらった「戦うオヤジの応援団」の名刺がきっかけで、「戦うオヤジの応援団」のホームページを閲覧しメンバーに登録させていただきました。
まだ、一度もSPへは参加していませんが、是非参加させて頂き新しい仲間をつくっていきたいと思っています。

結局、音楽を通じて得たものはかけがえの無い人生の財産である「仲間」だと私は思います。






エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→