2011年1月12日
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「されど私の人生」
 
(覚醒爺/1957年生/京都)


山下さんからメールを頂いて1ヶ月が過ぎてしまいました。
2回目のリレーエッセイです。
私が入会させて頂いたのは2003年2月の事でありました。
丸8年、過ぎてしまえば早いものですね。
当時は、失われた10年といわれた時代を少しばかり過ぎ、
小泉政権真っ只中、問題の先送りが非難され
リストラ、合理化の嵐が吹き荒れていたように思います。
しかしながら、現在は、あんなにひどいと思ったあの頃より
もっとひどい状況になってしまいました。
社会主義は博物館行きとなって早20余年、共産主義は歪な姿に変貌し、
資本主義はその限界点を超えてしまいました。
自由で平等な本物の仕組みがない社会があるように思います。
一部のエゴイストたちが作ったエセ自由主義というルールのもとに
市民は目的地も解らず、地図も無く、判断基準も無く、
目を閉じて目の前の道を只ひたすら歩くしかありません。
作詞・作曲の才能があったならこの思いを歌にできるのに。
その才能がありません。
東田さんに触発され、山下さんの誠実さ、
分け隔ての無い厳しさや優しさに惹かれ入会させていただきました。
あのころから作りたいと思っていた
自分の葬儀の祖供養に使うCDも未だ全くの手付かず。
手始めに、恥を忍んで、勇気を出して『メンバーの演奏をご紹介』コーナー
に挑戦しようかしらん・・・。

『待った』のきかない仕事をしています関係上、
時間的距離1時間以内に常時待機している必要があり
身動きがとり辛い状況であります。
このため、SPには数えるほどしか参加できていません。
北海道のSPにも行ってみたい。
パタータにも行ってみたい。
関東・甲信越・東海・関西・四国・中国・九州と全国各地のSPに行ってみたい。
親の責任を全うし、多少時間がもてるようになったら
必ずお邪魔したいと思うてます。
そのときは皆さんどうぞよろしくお願いいたします。
 
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