2011年1月25日
<エッセイ一覧へ>

「私の音楽活動とある後輩の死」
 
(komadori48/1954年生/愛知)


事務局の山下氏から、リレーエッセイの執筆依頼を受けまだ加入したばかりなので大変驚きました。
さっそく、皆様のエッセイをもう一度読み返してみましたが、多く共通するのは、みなさん学生時代になんらかの音楽活動をされていて、なにかのきっかけで音楽活動を再開された方が大半だということです。
かくいう私も、大学時代に軽音楽サークルで、イーグルスやPOCOのカバーバンドをやっていました。
そして、学生時代は定期演奏会や、女子大の学園祭に出演したりと、それなりに、楽しく学生生活を行いました。
でも、卒業するときは、もうバンド活動することは、絶対ないと思っていましたし、実際ギターに触れることもほとんどなくなっていました。

それが、50才を過ぎたある時、大学のサークルの先輩が脱サラして、ライブのできる居酒屋を始めました。
そしてそこが、サークルのOBの集う場所となり、先輩から、宴会の余興として、イーグルスの曲をやれといわれ、当時のメンバーが集まって練習をし、宴会の席で演奏しました。
それがきっかけで、バンド活動を再開し、定期的にその店でライブを行ない、一般のお客様や先輩・後輩の前で演奏するようになりました。

その時、G君という後輩がよくライブを見に来てくれていたのですが、彼も刺激を受けたようで、程なく後輩同士で練習を始めたと聞いて、私達も
彼らのデビューを楽しみにしていました。
彼は癌を患っていたのですが、治療の効果もあり職場に復帰するところまで回復していました。
しかし、薬の影響などでライブの予定をたてても、当日体調がすぐれなかったりして、キャンセルになり、なかなかライブが実現できませんでした。

そんな時、G君が再入院したいう話を聞きました。
さっそく、バンド仲間数人とお見舞いにいきました。
G君は温和な性格でその日もにこやかに、私達を迎えてくれました。
しかし、彼の口から出た言葉は、そのにこやかな表情からは想像できない言葉でした。
「癌が末期状態で今度はもうだめだと思います。」との言葉に、私もなんと言っていいかわからず、思わず「なんとか、ライブはできないのか?」と言ってしまいました。
同席していた奥様にしてみれば、こんな時にライブなんてと思われたかもしれません。
でもその時だけ、にこやかな彼の表情が曇り、「ライブはもう無理だと思います。」とだけ言われました。
その後、何を話したか覚えていませんが、その時の彼の表情だけは忘れられませんでした。
そして、それから約1ヶ月ほどたったある日曜日の朝、その日はある野外ライブに出演する日だったのですが、会場に着いた時G君がな亡くなったという連絡を受けました。

葬儀の後、サークルのOBやG君のバンドのメンバーが集まって、G君の為に追悼ライブを開こうということになりました。
サークルのメンバーに呼びかけたところ、音楽活動していなかったOB達からいくつか、バンド結成の連絡を受け、追悼ライブを開催するはこびとなりました。
委員会を作り、何回かミーティングを行ない、今年の4月30日に名古屋市内のライブハウスで、追悼ライブを開催することが決定しました。
そして、その時はG君の奥様と息子さんも招待して彼のやっていた音楽を聞いていただきたいと思っています。
きっとG君もライブに来てくれることと思います。
そしてライブの希望をはたせなかったG君の思いが、音楽活動の輪を広げていくことになれば、それが何よりの供養になるのではないかと思っています。





エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→