2011年1月30日
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「ディランに恩返し」
 
(KURA/1955年生/千葉)


最近千葉のとあるCD店で「BOB DYLAN LIVE 1975」という2枚組CDを手にした。
かのローリングサンダーレビューのライブ盤。
その3年後日本に初来日したライブ盤「AT BUDOKAN」はいまだに車中で音量を最大にして聞く愛聴盤なのだが、これを超えていた。
唄のうまさもさることながら、「ハッテイキャロルの寂しい死」をロックで、他の曲も斬新なアレンジでこれでもかというくらいに唄いこまれていた。
そんな中、初期のアルバムで大好きな「Another side of Bob Dylan」を久し振りに聞いてみたところ、今更ながらとんでもないことに気がついた。
20才過ぎの若者とは思えない完成度の高いボーカルに圧倒されるのだ。誰かが云っていたが解脱した卓越した坊主の経であり、煩悩を超越した声の主であった。

さて、自分に返してみたところ、昨年55の声を聞きながらいまだ煩悩に苦しみ、余計な殻を脱ぎ去ることができず女房と子供に手を焼き、「これではいかん。」と再度ギターを手にした年取ったただの青臭い茶坊主のままである。
比べてもいたしかたないが、あと残る人生で何が残せるか?何ができるか?
戦うオヤジの応援団の門をたたくも、いまだ練習会にも参加させていただいていないが今年は応援団の仲間として楽しませていただければと思っている今日この頃。
長いことディランを聞いてきて今やっとわかったこと。
自分も唄うことで「ディランに恩返し」。
そんな大それたことを思っている。
遅かりしステージを楽しみたいと思っている。





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