「夕暮れノスタルジア」 |
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(浮浪雲/1961年生/静岡) |
冬至から寒中、富士山は一段と雄々しい。朝、澄み渡る空に、荘厳な力強さを現し、夕暮れ・日没までの束の間、山肌にピンクから神々しい朱色を纏う「赤富士」に魅せられる。高台(崖っぷちとも言う)にある拙宅から望む富士は、眼下の市街地越しにが拡がる。富士山は西に傾きかかった太陽に照らされてる。
正月2日、田舎(宮城県北部某所)で中学の同窓会が催された。私は参加が適わなかったが、差し入れのお礼にと短いメール。添付されていたのは一人ひとり満面の笑顔の集合写真。覗き込むPC画面が窓から射す陽ざしに邪魔される。
田舎の高校を卒業して、仙台、東京、そして静岡と進学・仕事で渡り流れた。かろうじて数人の仲間との交流は続いていたものの、同窓会の類の繋ぎはまったくなしの礫。高校1年の時に母の急逝で実家を無くした事と薄情な友人が原因で、行方不明扱いで名簿から外れていたらしい。
拡大した画像をいくら睨みつけても、どれが誰なのか過去の記憶と照合できない。出席された恩師に僅かに面影を見つけられた事と、「最前列のトドが僕」の解説で、送り主である幹事殿を確認できただけ。見事に変幻遂げた、おっさん達とおば様方・・・。半ば唖然としながらも、今年50になる同窓会である。こうなるのは当然で・必然的だ。「悪い事ばかりじゃ無かったなぁ」にやにやしながら、暮れかかった周囲に気づいて我に返る。
窓からこぼれた光の届く部屋の一角、「掃除の邪魔でしかない」と家内から揶揄されるYAMAHAのアコースティックギター5本、フェンダーテレキャス)、いつまで弾けるのだろう? 一つをケースから取り出し糸を張っていく・・・
下手なりに37年。何に余裕がなかったのだろうか、20代半ばから40才過ぎるまではほとんどさわる事はなかった。
今でも忙しいのは変わらない。「上にも下にも責任世代」一端のオヤジ戦士を気取って、仕事(建設コンサルタント、IT)、まちづくり活動(地域ICT,Mobile
Siteやきそば学会etc)に励み、家族(妻一体、大学生2匹、女子高生1羽)を支え、悪戦苦闘・使い走らされる毎日。
黄昏の予感が同封されたふるさとの便り。廻り道だらけだった人生半ば50才。お日様はまだお昼を廻ったくらいか。朝のあまりのまぶしさに、大分くたびれ感は否めないけど、日没までにはまだ早い。
部屋の灯りを点しながら、そうだ!久しぶりに「追伸」をやってみるか。集合写真の仲間と語り合えるいつかを想って・・・
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