2011年4月24日
<エッセイ一覧へ>

「始まりがあって」
 
(エイジ/1953年生/愛知)


思い出してみると、僕の小学校時代は、音楽大嫌いの子供だった。
1年生の時に、縦笛(今はリコーダーと 言うらしい)を午後から練習すると先生に言われ、逃亡を図り、あえなく上級生に取り押さえられたが、泣き喚いて開放された。
先生があきれてあきらめた様だった。

そんな子供がギターなんぞを弾くようになったのは、中学1年の時。
姉の彼氏が中3の送別会にバンドをやり、そのために姉が親にせがんで、エレキギターを買ってもらった。その後それが僕のところに回って来たのがきっかけだった。
当時はG.Sの全盛期、家に帰ると毎日エレキギターを弾いた。
高校に入り、岡崎市の公会堂で見た「岡林信康」「高石友也」「フォーククルセーダーズ」今考えると実に豪華な顔ぶれを一度に見ることができた。それからはその世界にどっぷり浸かり、3年の時には「青年は荒野を目指す」を口ずさみながら、家出もした。
「自分の力で世界を変える」と口走り、後々気づいてみると『世界は変わらず自分が変わっていた。』
19歳頃からバンドを組み「プロを目指すんだ」と頑張ったが、やっぱり空回りの性格は変わるべくも無く、28歳くらいまで頑張った僕らに聞こえてきたのはイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」ウーン!とうなり、「やっぱりプロの世界は違う」とあっさりバンドは解散した。当時の僕は結婚して子供が3人おり、とりあえず食べていくために仕事をした。
ギターもいつの間にか生活に困った妻が売り払い「ストラト10万円で売れて助かった」と言われた。
唯一残った、GIBSON J50はその後生まれた長女の子供(つまり孫)と猫の「ゆず」の暴挙により、ハードケースは壊滅的な被害を受けたが、中身は助かった。

そして50歳を過ぎた頃、釣りの友達から「タカミネのエレアコ買わない?」と持ちかけられ、昔のバンド仲間から「もう一度一緒にやろうか」と言われた時に又目覚めてしまった。
リサイクルショップで、1万円でテレキャスターを買い、又別の店で「MUSIC MAN」のアンプと「ストラトキャスター」を買い、いつの間にかギターだらけになってしまった。
一時は再燃したバンド活動だったが、仲間がなかなか練習に来なくなり、仕方なく個人活動を始める。もうひとつJポップバンドにも入っている。バンド時代に声を掛けて頂いた朗読の方と『語りと音楽』のユニットも組んでいる。今では土日夜間問わず走り回る毎日。
もうじき(1年半少しで)会社を定年になるが、定年になったら何をしよう?と言う心配だけは無さそうな気がする。
ギターのハードケースとフライロッド(20本)ギターアンプ(3台)録音機材+ギター(10本)に囲まれ、12畳の部屋は布団をたたまないと立つ場所も無い。
子供の頃音楽嫌いだった少年はどこに向かうのか?
いつまでもこうして居たいような気持ちと、先に進みたい気持ちの中で、やっぱりずっとこうしている気がする。

個人的ブログ:http://blog.livedoor.jp/stratcar-music/
朗読ユニット:http://blog.livedoor.jp/stratcar/





エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→