2011年8月2日
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「記憶をたどって」
 
(Ken/1961年生/兵庫)


 それは、中学1年生の時だった。それまで家でレコードを聴くといえば演歌や歌謡曲ばかり(天地真理、奥村チヨが好きだった)の生活で、「ロックなんか不良が聴くもの」「フォークなんか男のくせに髪を肩まで伸ばしたヒッピー野郎ども」というのが我が家の定説であり私もそういうものだと思っていた。
 ある日突然その時はやってきた。友達の家に遊びに行くと、たまたま、そのお兄さんがレコードを聞いていて、耳に飛び込んで来たのが井上陽水「氷の世界」だった。衝撃だった。天地がひっくり返るほどの衝撃だった。その帰り道にレコード屋さんへ行き、LP「氷の世界」を買った。それから「断絶」「もどり道」を立て続けに購入。そして「もどり道」のギター弾き語りが私の青春に火を付けた。
 お年玉をはたいてフォークギター(5千円ぐらい)を買い、連日弾きまくった。と言っても、所詮、Fは鳴らないし、30分程度で指が痛くなるし…何とかならないかと指先にセメダインを塗ってみたり、セロハンテープを小さく切って貼ってみたり、無駄な小細工をあれこれやってた。
 井上陽水を知ってからフォークの世界に入り、かぐや姫でアルペジオを練習した。(上達しないが・・・)

 高校に入ると、バンドらしき仲間ができた。アコギ2名、ドラム1名、ベース1名という理想的なメンバーが揃い「Fools」という名も付けた。歌は当時ピークだった「アリス」を中心にひたすらドンジャカやってた。高校卒業後1年ぐらいは続いていた。とても楽しかったがメンバーの1名が突然駆け落ち。結局、人前で演奏することは一度もなく青春の1ページは自然消滅した。今にして思えば人前でキチンと演奏できるものではなかった。ただ、この時のメンバーとは30年以上経った今でも2年に1回ぐらいは大阪(堺)でミニ同窓会をするぐらいに本当に気の合う親友だ。
 
 熊本(菊池)生まれで大阪(堺)育ちの私が高校卒業後、神戸で就職、現在に至る。ギターは25年以上離れていた。若い頃、「結婚したら家族が一番、仕事は二番だ!」と息巻いていたが、労働組合の役員になってからは労働運動に傾注し、「家族は二の次」という生活が続いた。妻は愚痴を言いながらもよく耐えてくれている。
 2006年から2010年まで4年間、単身赴任も経験し、ふと気づくと50歳が目の前に来ていた。このままで良いのか、と悶々としていた時に、「会社内で5人のメンバーがバンドをやってる!」(バンドといっても結成1年ぐらいで人前ではやってないが)って聞いて早速入れてもらったのが2011年3月。バンド初参加の日、5人の前でさっそうとギター抱えたものの声が出ない。額や手のひらは汗びっしょり・・・内心、カラオケには少々自信があったし、「ギターは多少弾けるし」と単純に思ってナメてた。実際にはギターを抱えて人前で唄った経験がない者がいきなり弾き語りなんて出来るわけでもなく意気消沈。

 私が落ち込んでいた時、本当にびっくりするぐらいのタイミングで妻が私に一枚の地域情報紙「ともも」を見せてくれた。以前から妻は「パパは仕事中心の生活で、ゴルフも会社の人と、飲み会も会社のお付き合い・・・会社、会社、会社・・・これで定年になったら何が残るの?」と言ってた事を思い出した。妻に感謝しつつ一念発起。
 「アイリッシュバー?オヤジの応援団?なんだそれ?俺、酒あまり飲めないし。写真写ってるのはオジさんばっかだし・・・。ん?待てよ俺もオジさんだよな。それにこういう所に入る勇気がなければ人前で唄うことなんて一生できないかもな。よし思い切って飛び込んでみるか!」ってなわけで、2011年4月2日、SP西宮MTに見学!ものの見事にハマりました!
 5月13日に正式に入会!東京出張のタイミングで事務局の山下さんと直接お会いして会費納入させてもらった。(振込手数料が助かった事を密かに喜びながら…!小さい話で恐縮…) (^^ゞ

 オヤ応に入会して早や2ヵ月、今まで生きてきた人生からは180度変わった!決して大げさではなく本当に色んな事が目まぐるしく動いている。
会社では、大きなプレゼンの大会後の懇親会場で演奏する話が出ており、毎月1回集まってジャンジャカジャ〜ンと練習している。
 そしてオヤ応では、素晴らしい人達との出会い。お互いに尊重し合い、励まし合い、色んな事を教わり、ワイワイガヤガヤ本当に楽しい時間を過ごしている。会社とは一切関係のない、何の利害関係もない本当にギター好きの集まり。そしてこうした場所を提供し支えてくれる人の存在、世話役、地域の方々との関わり等、全ての人たちとつながりながら私は生かされていると実感している。

 先日、私が弾くギターで一般の若い女性が歌ってくれて『生ギターで歌うのは気持ちいい〜!』って言われた時の感動というか快感というか、今まで感じた事のない「何か」が心の底から沸々と湧き上がる感覚に捉われた。そして7月末、地域の盆踊り大会イベントで、大きなステージで人前で演奏させてもらった時も同じ感覚があった。
 そう、「自分が好きな唄を歌う」だけでなく、「色んな人に楽しんでもらう、喜んでもらう、一緒になって歌い、笑う」事を目指したいという感覚だ。まだまだ自分がそんなレベルに達していない事はステージを終えて痛感しているが、これからの人生の目標にしたい。そして、このオヤ応のメンバー(誰が言ってたのか覚えてない)が『将来的に老人ホームなどの各種施設に出向いて色んな人達に演奏を聞いて喜んでもらえるような活動につながれば…』という言葉に心から賛同し、そうした活動が本当に実現したとき、その中に自分の身をおいて精一杯の事をやりたい。いや、やらせてもらえる人間になりたい。

 勿論、このオヤ応に入会以降、妻は快くとまではいかないまでも支えてくれている事に感謝し、まず健康に留意しながら継続できるようコツコツやっていく。 ガンバルぞ〜!(*^^)v





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