2011年10月28日
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「ギターと共に」
 
(ISAO/1954年生/東京)


 マーティンにギブソン。高校時代の憧れのギター。先月、やっと鳴りのよいハミングバードを手に入れ、その懐の広い音色に酔いしれる日々。

 ギターに出会ったのは、高校時代を過ごした香川県のある海岸でした。私は、大阪出身ですが、中学の大半と高校時代は香川県で過ごしました。

 夏休みに自転車で海に出かけて行ったら、友達が数人でギターを弾きながら歌っていました。そこに顔を出したのが運の尽き、「おい、いさお。お前も弾いてみんか。これがCじゃ。」この時に、私は初めてコードというものの存在を知りました。2つほどのコードと簡単なアルペジオのパターンを教えてもらい、さらには、「このギターを貸してやるけん、弾いてみろよ。」

 私の人生はこの時から大きく変わってしまいました。毎日毎日ギターの練習に明け暮れる日々。みるみる上達し、一ヶ月で「小さな日記」は弾けるようになり、次は「戦争を知らない子どもたち」(万博バージョン)、そして、ウッディーウーの「今はもう誰も」。このストロークはかっこいいと思いました。フォークルセーダーズには、心を癒されました。この頃、調度ヤマハのライトミュージックコンテストを見に行くことになり、ゲストの五つの赤い風船に心は釘付けになってしまいました。この頃の一日一日は、常に新しいことの発見で、毎日が新鮮で充実していました。自分の中で何かが変わっていく。そんな感覚でした。友達とバンドを組み文化祭では、学校で初めてのフォークバンドとして注目されました。

 大学に進学して、フォークのサークルに入った頃は、井上陽水や吉田拓郎の活躍により、みんなで歌う社会的なフォークから、個人の気持ちを歌うフォークへと変わって行きました。学生運動が下火になった頃の「傘がない」は、まさに時代の変化を敏感に察知していました。この頃から、グループで歌ったり演奏することに喜びを感じていた私は、閉塞感を感じ始めました。だんだんとサークルにも足を運ばなくなり、ジャズやフュージョンに興味を持つようになって来ました。

 この頃にFM放送で聞いた、ジョン・マクラフリンのマハビシュヌオーケストラのサウンドには度肝を抜かれました。今まで聞いたこともないリズムと響き。衝撃でした。そして、80年にマクラフリンがジプシーギターリストのクリスチャン・エ・スクーデと来日し、田園コロシアムでの演奏を目の当たりにしたことが第二の運の尽き。アコースティックギターがこれほどの表現力があるということに驚きました。この時、マクラフリンはオベーションのクラシック、クリスチャンはマーチンのD-18だったと思いますが、信じられないスピードと魂を揺さぶられようなフレーズと響きには驚嘆しました。翌年にオベーションギター(リジェンド)を買い、第二のギター人生が始まりました。

 音楽活動を行う上で大事なことは、ジャンルや形ではなく、いかに相手の心に響かせることができるかということだと思います。もちろん、それ以前に自分が気持ちよく演奏できるということが大事ですが。テクニックはそのためだけにあるのだと思います。そして、自分らしさを出すということが、何よりも大切なことだと思います。

 自分らしさって何だろう。これも難しい問題です。ある曲を一生懸命コピーした。でも、どうしても同じニュアンスが出せない。何か違う。でも、ここでがっかりする必要はありません。それこそが自分のオリジナルな部分、自分らしさなのですから。これからも自分を育てていきましょう。



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