2011年11月13日
<エッセイ一覧へ>

「さて、これから!」
 
(鈴木信夫/1948年生/静岡)


思えばギターとは長い付き合いになります。

一番下の姉がギターなるものを買ったのが、今からおよそ52、3年位前だったと思いますが、姉は小さいころは歌が好きで歌手になりたいなどとも言っていた覚えがあります。そのせいもあって、ギターを買ったのでしょうが、すぐに飽きたのか、おこぼれ頂だいのかたちで、自分のところにそれがまわってきて、始めてギターなるものを手にしたわけです。手にはしたもののまだ小学5年か6年だった自分(6年だったかも?)の手では、弦を押さえるのも大変だったと思います。

ただ、そのへんは記憶になく、覚えているのは、ラジオから聴こえてきた愛のロマンスを聴いてこんな風に弾けたらかっこいいなと思い、少しずつのめり込んで行く自分がいたことです。田舎の楽器屋ではこれといった情報もなく、ギターの弦も教材も働き始めていた二番目の姉に、静岡で適当に買ってきて貰ったもので、やるしかなかったですが、はじめの教本はカルカッシの教本でした。初めは興味深く指の練習と思ってやっていましたが面白くなくて、飽きてしまい、代わりにやったのが、湯の町エレジーと影を慕いてでした。

その頃はギターが弾けるというと、これらの曲を弾けるのが必要にして充分の腕前と思っていて、湯の町エレジーが弾けるようになった時は、得意になっていました。(今は弾くこともないため、忘れてしまった部分が多いですが、、)その頃には愛のロマンスも覚え、中学生になった頃だったか、友達に聞かせては上手いだろうとほくそ笑んでいました。

そんなこんなでギターが生涯付き合って行く楽器になり始めて行くのですが、どういうわけかエレキやアコギと言われる種類の物には興味が行かず、ギターはクラシックギターからフラメンコギターに変化して行きました。ただ、そんなものへ傾いたばっかりに練習方法を見つけるのは大変だし、決まり事も?が多く、いつまでたっても、努力と成果の隔たりがあまり埋まらず、旋律楽器などで割と楽に楽しめるレベルになって行く人たちを見ては、あれのほうが良かったなと恨めしく思うようになっていきました。ただ、ある程度弾けるようになった時には仕事も責任のある地位にもなって、趣味はおあずけで、その後何十年かを年に数回しかギターを持つこともせず、定年を待つことになったわけです。

さあ定年でこれからは又音楽をやるぞっとなり、ギターもほぼ毎日手にするようになり、ギタージャンルもこだわりがなくなり、おかげで、欲しいギターが増えてしまいました。最近ではジャズ用、フラメンコ用、フォーク用、ブルース用、ロック用の各ギターがそろい、これからは各々の音楽を覚えて楽しもうとしているところです。



エッセイ一覧へ→
トップページに戻る→