いただいた手紙に返事を出す際、相手の方のお名前を間違えてしまったことがあった。その方は、私の間違いと侘びを受け止めてくださったが、世間はそういう方ばかりではない。事物の受け取り方は千差万別である。千差万別の心があるということになろうか。
「色」に関する仕事をすると、この千差万別の心達が色をまとって表れてくることがある。「そこは、緑にして」「緑ですか。どんな緑でしょう」「ほら、う〜ん、にがいって言う あの緑」「はあ、青汁でしょうか」「それそれ」 この方の心を捉えている青汁はいったい、どこのメーカーのもの。 「昨日の空みたいな青がいいよね」「はあーっ。」 肩の力が抜けてゆく。お客様の空は、何時、何処で心に飛び込まれた空でしょう。 見えない心を探ってゆく。ことばにならない心達が、応えてくれる色を待っている。
静岡市は南北に長い。静岡駅から北に向かう地図帳は、A3用紙1枚に入りきらないから頁を繰っては指が道を追いかける。 あっ、美和の追分。SP静岡の交流会場という所在を探していた指が止まった。
いつの日の秋だったか、山道をずっと車で進み、井川の湖を目指していた何時。なんにもない山道と思っていると“焼きたてパン”という立て札があった。お店は、「KASSO」という。「このお店の名前、どんな意味ですか」外国語かと思って尋ねてみた。「Sを一つ取ってみて」と店主は悪戯っ子みたいに笑った。う〜ん。まっ、いえているのかも。差し出されたコーヒーを黙っていただいた。まわりが深い茶色につつまれたあの何時。
今度も、追分で止まったままの指が困っている。緑や青や黄土色。
美和の追分 戻る道
右を選ぶもよいけれど
左に折れるもよいけれど
祭りのあとは 淋しくないかい
帰り道は ひとりじゃないかい
美和の追分 戻る道
群れずに牽いて 戻る道
あんたの居場所に 戻る道
「うっつ」の小さな つ を追分に置いて、そうして戻ってこようって指先の爪達が歌っている。群れてこそ見える色達を感じてみようかって、ざわめいているのは、押入れに立ち尽くしている絃。
|