子曰。吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而從心所欲。不踰矩。
(しいわく、われじゅうゆうごにしてがくにこころざす。さんじゅうにしてたつ。しじゅうにしてまどわず。ごじゅうにしててんめいをしる。ろくじゅうにしてみみしたがう。しちじゅうにしてこころのほっするところにしたがいて、のりをこえず。)
いきなり、論語の書き抜きで恐縮だが、おやじの戯言ということでご勘弁願いたい。おや応入団から丸8年経過した。その間公私とも目まぐるしい変化に飲み込まれて今の自分がある。前回のエッセイに登場した高田渡さんはあのまんまの雰囲気で年も取らずに天国で飲んだくれているだろう。小生は3度入院・手術を繰り返した。昨夜女房に電話したのだが、当時中学・高校に入学したばかりだった倅どもは現在二人ともに就活でこの寒空のもと休日がないらしい。3月11日はいたるところに跡を残したままだし、そんななか小生は55歳の年を迎えた。
当時YAMAHA FG2000 の1本のみで弾き語っていたが、各地のSP(スペース)で居心地良く過ごさせていただいているうちに4本に増えたのは喜ばしいことである。昨年は念願のGibson J50も手に入れたし、実家とこちらで2本ずつ弾き比べられるのは嬉しい限り。やはり自分でギターを弾いて唄うことが滅法好きなのだ。おや応というスペースを媒介として単なる自己満足(自己陶酔)がたとえば慰問という形に進化していくことは非常に心地よい経験であった。現在福岡に単身赴任中だが、こちらでも交流会で楽しくやらせていただいている。これから8年後はどうなっているかわからないが、生きていたらやっぱりギター弾き語りで叫び続けていることだけは確信できる。とにかく、おや応で知り合えた仲間との交流はできる限り大切にしていきたい。
最後に冒頭の論語の口語訳(最近お気に入りの訳)を記して終わりとする。
「わしは今でこそ先生と呼ばれておるが、14まで学問をしなかった。29まで自立できなかった。39まで自信がなかった。49まで天命をわきまえなかった。59まで人の意見をすなおに聞けなかった。69までは、何でも自分がしたいことをすると、ついやりすぎてしまった。ま、人生なんてそんなものだよ・・・。」 |