2012年4月16日
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「私と唄とギター、そしてオヤ応入会まで」
 
(じいじ/1955年生/愛媛)


 初めまして、自己紹介と入会した動機などを聞いてください。
私が生まれたのは福岡県嘉穂郡(現、嘉麻市)という所である。五木寛之氏執筆の青春の門の舞台に程近い所にある。いわゆる筑豊である。中学を卒業するまでは、ここで育った。

 高校進学にあたり、小倉にある高専に行くことになった。高専は5年制で、入学者は遠方の者が約半数を占めており、私も通学困難だったので入寮することになった。その当時高専は、学費600円/月、1か月の寮費が3食付きで9,000円程度だったと記憶している。とにかく安いというのが高専を選択した一番の理由だった。入寮して間もなく隣の部屋からギターの音が聞こえてきた。1つ先輩のNさんが弾くギターの音が気になり耳を澄ませて聞いていた。ある日Nさんにギターを弾いてみるかと言われ、教えられるままC、Am、Emと弾いてみる。Em以外は音が出なかった。Nさんもギター歴半年くらいであったが、当時流行していた、よしだたくろうさんの歌の弾き語りは私をワクワクさせた。
「カッコいい!」
音楽とは無縁で興味もなかった私が、Nさんの弾くギターで歌を唄う日々が続いた。「う〜ん、面白い。」詩の情景を思い浮かべながら唄うと何か心がスッキリする。そしてギターが欲しいと思うのは必然だった。しかしお金が無い・・・。ダメ元で母親に手紙で(当時実家には電話はなかった。)ギターが欲しいんだと頼んだ。返事は無かった・・・。

 その年の年末に帰省した時、母が「飯塚に行くけん一緒について来んしゃい。」と言う。私:「なにしに行くと?」母:「・・・。」バスで40分位で飯塚に到着。母は相変わらず無言で商店街に向かい、ある店の前で立ち止まった。母:「あったばい。」見上げるとYAMAHAの看板。「えっ!!」母:「一番安いギターを買いんしゃい。」一番安かったかどうかは覚えていないが、買ったのはYAMAHAのFG−160 16,000円だった。本当にうれしかった。ただ、ハードケースを買う余裕はなく店員さんがビニール製のケースをおまけで付けてくれた。1年も経つとこのビニール製のケースは硬化し、縮み、破損してしまった。それ以来ケースにも入れず現在に至る。ギターは1年間ほど日曜日の昼間に(寮なので大きい音が出せない)練習したが、あまり上達しなかった。どうにかFの音は出ていた。その後、熱が冷めるようにいつしか弾かなくなった。
 その後、卒業、就職(配属が松山)、結婚。
結婚した当時、妻の要望に応えて弾き語る。妻の評価「歌は中の下。」「ギターは下。」と言いくさる。君の歌は「下」だねと、心の中で呟いた。
 
 20年くらい前に(このあたりの記憶は定かではない)何故かギターが弾きたくなり、押し入れからギターを引っ張り出し、弦を張り替えたがネックが反ってしまったのか押さえづらい。音も買ったときと違っている。もうこのギターは終わりかな・・・。その様子を見ていた妻が、「あなたの誕生日も近いし、新しいギターをプレゼントしてあげる。」とのこと。妻の気が変わらない内に早速楽器屋さんへ出向く。店の中は所狭しとギターが沢山。さて、どれにするか。元来ギターの知識は無く、フォークギターとクラッシックギターの違いくらいしか知らなかった。そうこうすると店員さんが寄ってきて、何かお探しですかと。私がフォークギターをと言うと、これは人気のギターで有名な歌手も使っていますよと指さす。ネックの文字をチラッと見ると「Ma・・・」と書いてある。それと同時に「マーティンのギターは良いですよ。」と。マーチン?聞いたことはあるなあ・・・。値札を見ると、一、十、百、千、万、十万・・・。「無理!!!」妻の耳元で予算を聞くと、五万円とのこと。店員さんに予算五万円以内で、何か選んでくださいと頼み持ってきてもらったのが、MORRISのMF-50。モーリス、聞いたことがある。ということは割合有名なメーカーなんだろうと勝手に思い込み、これに決定。色は妻の趣味で赤色(えんじ色)。結局幾らだったか覚えていないが、渋る店員さんを口説き落とし中古のハードケースを付けてもらった。子供のおもちゃと一緒で最初は一生懸命遊んでいるが、又もや熱が冷めて押し入れ行き。

 今年の2月位にテレビCMで女性の歌手が唄う歌が心に止まった。テレビの隅に手島葵「流星」の文字。娘にこの歌を知っているかと尋ねると。「知らない。You Tubeで調べたら?」ユーチューブ?何だそれ?娘に手ほどきを受けてたどり着いたのが、手島葵さんが唄う流星。うん、いー唄だ。一緒に居た娘いわく、コレよしだたくろうのカバーと書いてあるよ。不覚にも、よしだたくろうさんの「流星」を私は知らなかった。たくろうファンの皆様ゴメンナサイ。それからYou Tube通いが始まった。You Tubeは良いなあ、なんでも聞ける。これではCDは売れないだろうと思った。ネット通いをしているうちに、「戦うオヤジの応援団」を見つけ皆さんのエッセイを読んでいるうちに、同年代の人が唄う歌が聞きたくなり迷わず入会。入会したつもりだったが3日経っても返事が無い。仕方なくSP愛媛のスタジオOWLへ出向く。OWLマスターは不在であったが、奥さん?にオヤ応のことを少し聞き、前回の交流会のDVDを見せて貰って帰宅。後日OWLマスターにもう少し詳しくオヤ応の事を教えていただいた。私のネット環境は娘のお下がりのスマホのみ。慣れない指先と老眼鏡で再度登録挑戦。今度は送信が成功したらしく、事務局の山下様から無事メールが届いた。

 5月5日のSP愛媛の交流会で、生涯初の人前での演奏をすべく「流星」を練習中である。そんなある日、事務局の山下様からリレーエッセイの執筆依頼。
「えっ!もう?」SP愛媛の皆さんのうち、OWLマスター以外面識もないのに。まあいいか。自己紹介にもなるし、と言うことで快諾。ただ、このダラダラした長文をスマホで打つのは気が遠くなりそうだ。お忙しい山下様、手紙ではダメでしょうか?




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