2013年7月14日
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「奇跡のリハビリコンサート」
 
(つかさ/1947年生/埼玉)


前回(2005年12月20日)このエッセイ欄に投稿してから約7年が経過し当時の自分のエッセイを読み返し、目標(夢)から遠のいている現実に自分の生きざまを痛感しました。
63歳で大分の地にスタジオを建て後輩の音楽指導を推進しているはずだった自分は、同年で銀座の地にシニア起業家として特許情報サービス会社を設立し音楽とは疎遠な道を歩むことになってしまいました。

現在、66歳。
いろんな人との出会いが新たな道を作り日本のものづくり技術を世界に広める事業に船出をしてから2年目、昨年の秋に突然のアクシデント(脳梗塞)に遭遇し、左半身麻痺の車イス生活となり約7か月間入院治療に専念するハメになり、仕事も音楽も酒ともかけ離れたリハビリの毎日を過ごしました。現在は、5月から自宅でのリハビリ治療を開始し社会復帰を目指しています。
元巨人監督長嶋さんと同じ心情で痛みに耐えています。

今回は、入院生活時に起きた音楽による奇跡について述べます。入院当初は、左手は内に曲がり固まったままでグーチョキパーも出来ず、左足は全く力が入らないブランブラン状態で1ケ月は寝たきり状態でした。それから徐々に手足のマッサージで刺激を受け、死んだ脳細胞の周辺の脳を活性化する運動を開始し3ヵ月目には、杖をついて立てるまでになりました。リハビリ担当の先生(理学療養士)3人との辛いリハビリのおかげで回復の兆しが見えてくるようになり、冗談交じりの会話で『この分だとギターでも弾けるかなー』の慢心がとんでもない結果(奇跡?)を生むことになりました。

数ヶ月ぶりに手にしたギターはネックを支えるのがやっとで弦まで指が届きません。手首も曲がらないので弦に触れることもできません。想像はしていたけれど現実に直面した私の体はショックで以前より体が固まってしまい、動き始めていた指がまた動かなくなりました。

それからの1ヵ月間、残された人生を身障者としてどう生きていくのか自問自答の毎日でした。会社経営・家族生活・病床の母親問題(88歳)・自作自演のCD制作(約150曲)・江戸文化検定1級へのチャレンジ・奥の細道自転車巡礼・妻との第2新婚旅行(欧州めぐり)・時代小説執筆などなど多くの事柄が無念の一言で片づけられないほど取り残されている事に気が付き、何としてでも再起を図る決意を固め、まずはギター演奏を近々の目標と定め2ヵ月後のリハビリコンサート開催という背水の陣をひいてしまいました。
先生たちからは無謀だと言われましたが院内のスタッフや先生・友人に参加協力を求め7名によるグループ結成(Seven Leaves;男4女3)が実現し約2ヵ月間のコーラス・ギター特訓を行い課題曲8曲(Scaborough Fair、Find the Cost of Freedom、イムジン河、雪が降る日に、海、竹田の子守唄、いつのまにか少女は、翼をください)を何とか仕上げる事が出来ました。不思議なことに練習するたびに私の指は痛みを忘れ動き始め、2本の指でEmを弾けるまでになったので、すべての曲をト長調・ホ短調に再アレンジし、5月10日に本番を迎えました。お客様は入院中の高齢患者の人達と病院スタッフの皆さんです。
結果は、大拍手の中で無事コンサートを終了し、お客様及び自分自身にも感動を与えることが出来ました。
先生達からは病院始まって以来のリハビリ成果だと奇跡だと言われ、今後、院内のリハビリテーションに音楽を取り入れることも決定されました。
現在も自宅でギターでのリハビリを続けFコードも弾けるようになりました。
『一念、岩をも突き通す』です。
人生、年齢に関係なくどこで谷底に落ちるかわかりません。
意志さえあれば人は強いと感じました。
生きている限り、いつでも人生です。
終わりが来るまで素敵な人生です。

 
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