2014年1月21日
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「人との出会いもギターとの出会いもすべて縁。
ならばその縁を大切にしようではないか」
 
(yasaka/1967年生/愛知)


確か昨年の今頃だったか、GibsonのLG-0(67年)を購入した時
「もうギターは買わない。こいつがあればいい」と公言していたはずなのに昨年の暮れにMartinの00-21(69年)を購入した。

今までならSNSの自分のタイムラインに「新しい相棒!」と嬉しそうに写真付きで紹介するのだが、さすがに今回はほぼ内緒にしている。

昔、バンド仲間(女性)に「どうしてそんなにたくさんギターがいるの?」と聞かれ「ギターはみんなそれぞれ音が違うからあの曲にはこのギター、この曲にはこのギターって使いたくなるんだよ」と答えた。

その後、帰ってきた言葉は
「ふーん。ギターでよかったね。それが女性だったら問題だよね」
ごもっとも、な話。というか、女性どころかギターでも問題なのだが。

どうしてこうも次から次へとギターとの出会いを繰り替えす自分は
浮気症な男なのか、それともおもちゃをたくさんほしがるガキなのか。




と、自己嫌悪になりそうな気がしていたのだが
最近は「これも縁だ」と思って肯定的に見ている。

人が人生を積み重ねていく中でその時その時で出会いがあるように
ギターとだって色々な出会いがあっても良いではないか。

事実、今回初めてMartinを購入するまでは自分は圧倒的にGibson派だった。
それが今のギターと付き合いだしてからすっかりMartinの魅力にとりつかれてしまった。
(もちろんGibsonがダメだというわけではない)
自分にとっては新しい音を手に入れたわけで、それは言うなれば
自分の新しい扉を開いたわけで。(ちょっと盛りすぎ?)

いろんな人と出会えるのが楽しいように
いろいろなギターと出会って、新しい世界が広がっていくと思えば
ギターを巡る人生も悪くないではないか。

というわけで、これからもいいギターとの出会いがあれば
迷わず付き合っていこうと思います。
世のギター好きの皆さん!お互いにどんどんギターと出会って
付き合っていき、世界を広げていこうではありませんか!



...とは言え、こんな文章をあなたの奥様や彼女さんが見たら
「あなた、絶対、こんな男の事、真に受けちゃダメよ!」と言われそうだなぁ(笑)






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