2014年7月14日
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「龍琉三線倶楽部を主宰してます」
 
(ぶながや/1960年生/東京)


長年働いたJTBを2004年に辞めて、新規就農者としてやんばるは大宜味村と東村にてハルサー稼業に転身。
県史初のタイからの輸入ではない純沖縄原産の泡盛販売すべくインディカ米を栽培したり(忠孝酒造にて夢十色として発売)、1個5,500円のパイナップル「TADAO GOLD」の販売に携わったりしました。
また那覇農連市場で創作沖縄菓子の店、「古波蔵家」の店主に(パパイヤ牛乳、真っ赤ドラゴンフルーツのアンダギー、泡盛カステラプリン、沖縄ベトナミアンコーヒー等各200円)。

いまは出戻り娘よろしく、古巣に戻って、沖縄エリアの訪日外客ツアーの造成販促を担当。

平日は八王子、週末は龍ヶ崎に居住し、龍ケ崎では龍琉三線倶楽部を主宰。

3種類の琉装にてお得意の1人稽古場所は北竜台公園、北千住駅前、銀座の歩行者天国、会社の昼休みに天王洲の運河前で(さすがにワイシャツ姿で)、寝床で子守唄替りに(さすがに寝巻きで)、そして一昨日から井の頭公園のボートの上で(ここでは周りのボートの恋人達や親子連れに、有無を言わせず強制的に聞いて頂きつつ、好評を得ています:多分)。
今の絶対的信条は、1ヶ月マンツーマンのベタで沖縄三線唄者の何たるかを教えてくださった、農連の師匠(周りからはブレーク寸前と言われている)より先に世に出て「あの人に唄と三線の稽古を付けたのは私よ」って言わしめること。さもないと確実に自分の人生は、「俺はあの今話題の才色兼備沖縄美人唄者の弟子なんだぜ」って自慢するだけの人生となってしまうから…そんなの絶対に嫌だ!!!

ではでは、今後お見知り置きを!





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