2014年8月27日
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「多重録音の移り変わり」
 
(トシユキ・K/1957年生/和歌山)


中学3年生のころ「オールナイトニッポン」で拓郎が多重録音について語っていた。曲は「面影橋から」だった、まずドラムを録音してそれを聞きながらベースを・・・といった具合に、あっというまに見事に完成。そのとき拓郎はドラムも叩けるし、ベースも弾けるんだと驚いた。

大感動した私は挑戦してみた。当時我が家には、おそらくおやじが日本橋あたりで買ってきたと思われるカセットとオープンリールが2台あった。「よっしゃ〜」、曲はLP「人間なんて」の「わしらのフォーク村」・・・イントロのリードを必死で耳コピ。まあ簡単な曲ではあるがあの時の喜びは相当なものだった。

味をしめた私はベースも入れることにした。もちろんギターの5,6弦がベースである。普通に録音してもひどい音質なのにピンポン録音なんて、誰もしないだろう。そしてそれは想像どうりの酷いものだったが、楽しかった。

その後、高校時代はバンド組んだりで一人録音なし。卒業後、また多重をやってみたくなり、SONYの英会話用カセットデッキをローンで購入。先生のあとに自分が発音したのを録音するといったもの。クロームが使えるが値段のわりに音質はいまいちだった・・・。

23歳でシャープのWカセットを購入、10万円ほどしたがやはり音質はいまいち・・・。

25歳、多重には関係ないがカシオのメロディー録音機能のついたハンディー電卓?キーボード?で曲作りにのめりこむ・・・つもりだった。

28歳、日本橋でタスカムの234と出会う。衝撃的だった。片道4chでテープスピードは倍の9.6p、音楽多重録音機だった!・・・がギターでコードを録音して歌ってハーモニーでもして3ch。音質がよくなった分「俺ってこんなにへたくそ?」と、のりがわるい・・・。

32歳、千里のとある楽器屋で誰かがチョッパーベースを弾いている、「しぶいやんか!」とあたりを見渡すも誰もベースを触っていない。答えはQY-10だった。またまた衝撃を受ける。即購入、234とあわせて少しはましな多重録音が可能になる。

34歳、QYの音源にものたりなさを感じヤマハのSY−85を購入、アレンジが楽しくなりそうな予感が・・・しただけ。

35歳、なんとパソコンで多重録音が、もちろんデジタルの高音質でできる!・・・ヤマハのSW-1000XGというサウンドボードとPCを、やっぱりローンで購入!PC自体がたかだかセレロン300で20万以上もした時代、30万画素のカメラが5万円、サウンドカードが9万弱、あわせて貧乏人の私には清水の舞台だった・・・が、付属のシーケンスXG WORKSUの使い方に挫折してしまう・・・その後PCはエロ画像収集機となる(笑!

45歳、人生の転機が訪れたのかどうかはわからないままだが、突然オリジナルCDの製作に取り組みたくなる。帰宅後は曲作りにのみ没頭、一年後9曲いり「季節はずれの花火」なるものを友人、知人にくばりまくる。満足感にひたる!・・・そう一瞬の満足感のために私の多重録音人生はあったのだ!

それから11年、56になった・・・おっさんバリバリである!あと何年生きるだろう?そんな中、私は一代決心をした!残った人生を純粋な魂たちのために少しでも役に立ちたい!純粋な魂たちが大好きだ!

人間には騙された・・・でも猫に詐欺にあったことはない、犬にカツアゲされたことはない!彼らこそ私の友人であり愛すべき存在なのだ!

最後までくだらないエッセイを読んでいただきありがとうございました!

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